(5)アスボイ―小西の夢の跡
[2015/6/19]

 事件から100年後の2013年の9月3日、私はダブリンでの宿泊先、トリニティ・カレッジの正門でジョン・ギルロイさんと待ち合わせた。肌寒いとはいえ、明るく気持ちのいい秋の日の午後だった。議会が入っているレンスター・ハウスまでは徒歩で数分。中を案内して頂いたあと、カフェテリアで軽い(といっても、大きなジャガイモが3つもついた、私にはかなり重い)昼食をご馳走になった。

 正面玄関前の駐車場に停めてあったギルロイさんの車は黒のトヨタ車。アスボイへ向かう途中の会話で、ギルロイさんがアスボイの出身だとはじめて知った。15年前に連絡をもらったときからの住まいも現在の選挙区も南のコーク県なので、なんとなくコーク辺りの人のような気がしていたのだ。今もお母さんと妹さん、写真館を営んでいる末の弟さんが住んでいるという。ご自身はいまは政治家専業だが、もともとは精神科の看護師。メンタルなことに関心があり、interesting people (面白い人間)が好きなのだとか。

 アスボイに着くと、まず弟のデイビッドさんの店に立ち寄った。現在は人口2000人余り。アイルランドのどこにでもありそうな小さな町だが、所々にどっしりとした建築物があって、かつての繁栄を物語っている。その一つ、現在、アイルランド銀行になっている建物が当時の警察署。事件の発覚当初、現場で誠実な捜査に努めたグライア警部も、物語を彩る人物の一人だ。

 町の人の大半は通りに面したカトリック教会へ行く。小西は宗派にこだわらず、様々な教会に顔を出した。寄付を求められるのを嫌がって、「どこもかしこも「mooney, mooney」(金、金)ばっかりだ」と、こぼしていたという。弟のデイビッドさんが、「兄貴も子供のとき、親父と一緒にそこの入り口に立って寄付を集めていたんだよ」と言って、茶化す。こうして街を案内していただいているうちに、買い物中のお母さんと妹さんに出くわした。ギルロイさん曰く、「これで、まだ会っていないのは、神父の兄貴と看護師の妹だけだな」。待ち合わせをしなくても会えてしまう、そういう規模の町なのだ。小西は町で有名な存在だったという。「なにしろ、オートバイを持っていたから、簡単に来れたんだ」と、ギルロイさんが説明する。屋敷で必要な物品を購入する必要もあったのだろう、よく町へ来ていたという。

 通りから少し入ったところに、英国国教会系のアイルランド聖公会のセント・ジェームズ教会がある。四角い塔の目立つ、いかめしい感じのする古びた建物だ。小西はその裏手にあるジョーンズ氏の墓に一緒に葬られている。事前にダブリンの目抜き通り、グラフトン・ストリートの屋台の花屋で買っておいた白菊の花束を、二人の偉大な旅人の墓前に供えた。

 ジョーンズ家の屋敷、クリフトン・ロッジはアスボイから4キロほどの郊外にある。舗装されていない脇道に入ると、車は揺れに揺れる。「馬にはいいんだが、自動車にはどうもね」と、ギルロイさんは苦笑い。リモコンで開閉される柵扉を通過して敷地に入ると、青々とした芝生が広がり、その向うに館が見えた。小西がいた当時はもっと広壮な建物だったのだが、1930年代に管理の都合で両翼を解体し、いまは中心部だけが残っている。仕事から早めに帰ってきてくださったらしいご主人が、堅牢な扉を開けて迎えてくれた。天井の高い玄関の間を通って奥の居間に入ると、一面のガラス窓の向うに手入れの行き届いた見事な庭がパノラマのように見渡せた。

 館の脇に、小西が最後の夜に喧嘩し、そのために容疑者として逮捕されたファレル一家の住んだ田舎家がある。今はご夫婦が住み、馬の飼育を仕事にしている。向いに馬場があり、何頭かがのんびりと尻尾を揺らしていた。コーヒーをご馳走になった。ギルロイさんがご夫婦と居合わせたお客に、ここで100年前に起きたことを話し聞かせる。皆はときに質問したり、うなずいたりしながら聞き入っている。アリス・テイラーさんの『アイルランド村物語』(高橋豊子訳、新宿書房)の中に、比類のない話し巧者を扱った1章がある(「第28章 ことばの芸術家」)。その主人公がテイラーさんの家の台所で話をしたときの光景を思い出した。

 外に出ると、いつの間にか雨が通り過ぎたようだった。芝生がきらきら輝いている。空には、屋敷を包むように大きな虹がかかっていた。デイビッドさんはその虹に駆け寄るようにして、撮影に夢中になっている。

 今回の新版A Cry in the Morningの出版について、ギルロイさんが繰り返し残念がっていたのは、小西の写真を入れることができなかったことだ。ロンドンの日本領事館から日本郵船の三島丸で東京日本橋の父親宛てに送られた遺品の中には、主人のジョーンズ氏に付き従った旅のどこかで撮った写真が入っていたのではないか。しかし、たとえそうであっても、はたして関東大震災と東京大空襲による二度の大火をくぐり抜けることができたかどうか。だが、もしや生まれ故郷の函館には子供時代の写真が残っているのではないか、そう期待している。

関連サイト;
1. アイルランド聖公会セイント・ジェイムズ教会

2. ワシントン州の郷土史家ラルフ・ブラウン氏によるジョーンズ氏の系譜調査。肖像と墓碑の写真も掲載

3. 同じくブラウン氏による小西の略歴紹介と墓の写真

4. カトリック教会アスボイ教区

5. ジョン・ギルロイ氏の公式サイト

6. デイビッド・ギルロイさんの写真館のプロモーション・ビデオ。ウェディング写真を専門にしている。

 *** 終わり ***


クリフトン・ロッジ本館の現在の様子