(2)「愛蘭に起れる事件」のその後
[2010/6/11]

 今回見つかった「東京府民故小西清之助遺族ノ有無取調方在倫敦総領事ヨリ照会の件」という資料は、大正2年(1913年)9月11日付のロンドン総領事から外務大臣に宛てた連絡で始まっている。東京朝日新聞に「邦人給仕銃殺問題―愛蘭に起れる事件」の記事が掲載された直後ということになる。

 7月27日から行方不明だった小西が遺体で発見されたのが8月1日の日曜日。5日には小西失踪の日までジョーンズ家で園丁として働いていたファレル一家が逮捕され、7日にアスボーイの裁判所で審理が始まっている。

 総領事は事件のあらましを報告し、遺族に事情を伝えるとともに正当な遺産相続人を確かめて連絡してくれるよう依頼した。本人の身元は次のように書かれている。東京市日本橋区南茅場町(現在の茅場町2丁目)の清兵ヱ三男、小西清之助、明治14年(1881年)生まれ。明治41年(1908年)にイギリスに渡来、と。

 外務省はこの件を通商局長名で東京府知事に照会した。しかし、府知事は1週間後の10月13日、日本橋区長からの報告を添付して「調査不能」と回答する。管内に本籍をもつ者、寄留する者のどちらにも該当者がいないというのだ。外務大臣はロンドン総領事にその旨を連絡した。

 小西の身元についての情報の出所は何だったのだろう? 渡英の時期まで記されていたということは、所持していた旅券か渡航証明書の類だったかもしれない。しかし、その情報はなにかが間違っていた。