(1)「愛蘭に起れる事件」のその後
[2010/5/18]

 1913年(大正2年)7月、アイルランドのミース県でSanotic Konishi(あるいはKoniste)の名で知られる日本人が殺害される事件があった。Konishiはジョーンズ家の屋敷で30人の使用人を取り仕切る立場だった。事件の経緯は、コーク県在住のジョン・ギルロイ氏が “A Cry in the Morning”(朝の叫び、1997年刊)という冊子に詳しくまとめている。その概要は以前このコラムで紹介したことがある。

 大正2年9月10日の東京朝日新聞はこの事件を「邦人給仕銃殺問題―愛蘭に起れる事件」の見出しで報道し、被害者の名前を「小西清之助」と書いている。この情報をもとに小西清之助なる人物について様々な方法で調べてみたが、手掛かりは長いあいだつかめないままだった。

 ところが、ようやく最近、外務省外交史料館の資料の中に小西の件を扱った文書を見つけることができた。

 100年近く前の当時、海外へ渡航したり、海外に居住したりする日本人の数は現在の比ではない。しかしそれでも、様々な原因から海外で命を落とす日本人は少なくなかった。現地に近親者がいなければ、外務省が事後の処理に当たることになる。大正2年に外務省が扱ったケースが3冊の分厚いファイルに保存されている。その2冊目の真ん中あたり、58件目に小西殺害後、現地公館と本省が交わした文書が綴じられていた。

 表題は「東京府民故小西清之助遺族ノ有無取調方在倫敦総領事ヨリ照会の件」。

小西の前には、英国船に乗り組んでいて死亡した船員Y.Seitoの身元照会、後ろには、アメリカのコネチカット州で列車の衝突事故に遭って亡くなった二名の賠償金に関する文書が収められている。