(33)やってきた2冊の本から吹いてくる風
[2022/4/16]

◆『葦を編む 佐藤健二の仕事』(編集構成=佐藤健二、協力=退職記念誌編集委員会、2022年3月19日)A4判並製、112頁 表紙デザイン=森須磨子

今年の3月末に東京大学大学院人文社会学系研究科教授を定年退職し、現在東京大学執行役・副学長の佐藤健二さん(1952~)の「退職記念誌」が、佐藤さんご本人から送られてきた。表見返しに挿入されていた謹呈の短冊には「最終講義の日に 記念の一冊をお届けします 自機を得て、ためらいつつ」とある。そんな矢先に、佐藤さんの恩師である見田宗介(みた・むねすけ)、筆名・真木悠介(まき・ゆうすけ)さんが先日の4月1日に亡くなっていた。享年84だった(『朝日新聞』4月10日朝刊から)。*

目次は以下のようになっている。
Ⅰ Career /年譜 
Ⅱ Works /論文 
Ⅲ Review/書評**
Ⅳ Well-Wishing/送辞
寄稿者索引
編集後記(佐藤健二)

「経歴 年譜」の冒頭には、日記は「私は昔から三日と続かず、記録がない」と、意外なことが書かれている。「書誌社会学者」とも言われる、あの佐藤さんの知られざる一面なのだろうか。また「編集後記」には、「整理整頓が苦手だったことが幸いして、大学に入ってから使い始めた「手帳」の類がかなり捨てられずにあり、2003年以降の文書の断片やメールの一部がパソコンのなかに残存していた」とある。それにしても、精緻なデータによる「 Career /年譜」や「Works /論文」が掲載されている。
佐藤健二さんの著作・論文には、私(そして新宿書房)は何ひとつも関わってこなかった。しかし、佐藤さんとの付き合いはけっこう古い。
その「経歴 年譜」を見ていくと、1985年(昭和60)にまず登場する。
  1985年11月 都市のフォークロアの会の相談(新宿書房 大月隆寛と 20日)
この「都市のフォークロアの会」について、本書の「書評 礼状」のところに重信幸彦さん(民俗学・北九州市立大学)が書いている(p66)。それによると、1984年頃、民俗学の現状に強い危機感を抱いていた大月隆寛(競馬)が東大助手の佐藤健二(柳田國男)に声をかけて、吉見俊哉(盛り場)、小川徹太郎(漁師)、重信幸彦(タクシードライバー)とそれぞれの研究分野をもつ5人でこの会を始めたとある。その会合が行われた会議室は、とある出版社だった。実はこれが、そのころ九段南にあった新宿書房なのだ。
また、「送辞」でも吉見俊哉さん(東京大学情報学環教授)が、この「都市のフォークロアの会」のことをふれている(p 73)。「当時、私たちも30代前半で、民俗学と社会学の若手が都市をテーマに新しいフィールドを拓こうと議論を重ねていました」。***
吉見さんの最初の著作は『都市のドラマトゥルギー ―東京・盛り場の社会史』(弘文堂、1987年。河出文庫、2008年)だ。この本のゲラ(校正)を「都市のフォークロアの会」のメンバーが新宿書房で読書会のスタイルで読み合わせしていたことを思い出す。新宿書房にとって、この「都市のフォークロアの会」から生まれた唯一の出版物は、1988年10月に翻訳出版した『消えるヒッチハイカー ―都市の想像力のアメリカ』(ジャン・ハロルド・ブルンヴァン著、大月隆寛+菅谷裕子+重信幸彦共訳)である。幸いこの本は評判になり、ここから「都市伝説」(urban legends)という言葉が日本社会の中に定着した。


『消えるヒッチハイカー』(旧版)のカバー(見開き)造本=中垣信夫

  1999年1月 エンカルタ総合大百科の編集部のマルチメディア研究会に参加
  (新宿書房村山恒夫氏と 21日)
その「都市のフォークロアの会」からずいぶん時間が経った。その頃、佐藤健二さんは東大の助教授になっていた。私は新宿書房の経営をたすけるため、当時、渋谷区笹塚にあったマイクロソフトのCDROM『エンカルタ総合百科事典』の編集部へ出稼ぎに行っていた(「三栄町路地裏だより」vol.4,2001/05/24を参照)。そこの編集長になった私は、エンカルタ編集部のスタッフのために(生意気にも、外の空気を吸え、勉強しろと)社内カルチャースクールの開催を考え、佐藤さんにその人選とテーマの相談にいったのだ。講師を呼んでのレクチャーはマイクロソフトの会議室で行われた。
  2000年5月 小川徹太郎主宰・歴史表象研究会に加わる(6日)
小川徹太郎さんは、「都市のフォークロアの会」の仲間でもあった。2003年に44歳で急逝した後、残された論考をまとめて刊行されたのが『越境と抵抗―海のフィールドワーク再考』(小川徹太郎著、歴史表象研究会編、新評論、解説=佐藤健二、2006年)****だ。この遺稿論集を丁寧に編集したのが佐藤健二さんだ。その刊行時に、私は佐藤さんのそのあたたかい友情に深く感銘したことを憶えているし、いまもその気持ちはかわらない。

*佐藤健二さんの最近刊は『真木悠介の誕生―人間解放の比較=歴史社会学』(弘文堂、2020年)だ。「なぜ見田宗介は真木悠介を必要としたのか?」(帯文から)
**「Review/書評」の「追伸・補足」の中に、野本三吉(加藤彰彦)さんからのハガキ(1979年2月7日)が画像として掲載されている(p 69)。「野本さんとは、まだ学部学生の時代に、当時所沢に住んでいた津村喬氏の家で開かれた研究会で、初めてお目にかかった。横浜寿町での活動を通じて出会った人たちの話が印象的だった。」(佐藤)私も野本さんとはその頃、平凡社の『百科年鑑』の原稿を頼みに寿町に通っており、それが後の『風の自叙伝―横浜・寿町の日雇労働者たち』(新宿書房、1982年)や『野本三吉ノンフィクション選集』(全6巻、新宿書房、1996年~2001年)につながっていく。
***吉見俊哉さんと新宿書房との奇縁については以前コラムに書いたことがある。
****小川徹太郎著『越境と抵抗』については、次のサイトを参照のこと。
fhttps://www.shinhyoron.co.jp/imgs/hs014.pdf

◆『幻の小川伸介ノート 1990年トリノ映画祭訪問記と最後の小川プロダクション』(小川伸介+小川洋子著、景山理編著、発行=シネマ・ヌーヴォ、発売=ブレーンセンター、2022年2月7日)
A5判並製、254頁、本体2000円 ブックデザイン=鈴木一誌+吉見友希
先日、鈴木一誌さんから送られてきた。本の表見返しには「村山恒夫様 白石さんのインタビュー、なんとか形になりました。4/6 鈴木一誌」という一文が挟まれていた。表題にあるトリノ映画祭訪問記とは、小川伸介監督が1990年11月7日から18日まで参加した同映画祭でのシンポジウム「1960年代の新しい日本映画」にゲストとして招待されて参加した際の夫人の小川洋子(白石洋子)さんのメモだ。小川監督はその年5月、直腸ガンがわかり、翌6月には手術を受けていた。

ドキュメンタリー映画界の巨匠・小川伸介さん(1936~92)が亡くなって30年がたつという。「小川伸介監督没後30年 小川伸介と小川プロダクション」という大回顧上映会が大阪や東京(2020年2月15日~3月12日:アテネ・フランセ文化センター)で開催され、小川伸介全作品が上映された。
http://www.cinenouveau.com/sakuhin/ogawashinsuke2022/.....
http://www.athenee.net/culturalcenter/schedule/schedule.html
それにあわせて本書が刊行されようだ。
本書の中に、「〈白石 in 牧野〉幻のノートについて」(鈴木一誌)と「白石 in 牧野~『養蚕編』を中心に」(白石洋子)の2編が収録されている。鈴木さんがそこで書いているように、2000年の初頭に、小川伸介夫人の白石(小川)洋子さんへインタビューをし、これを本にまとめようとしたことがあった。池袋のホテルの談話室に白石洋子さんをお呼びして、鈴木さんと私でインタビューについての相談をした。
また、小川プロのあった山形県上山(かみのやま)市の木村迪夫さん(『百姓がまん記』新宿書房、2002年 装丁=田村義也)のお宅を、私は鈴木さんや飯塚俊男さん(元小川プロ『映画の都』[91]の監督、現アムール)と伺ったり、小川監督のお墓のある岐阜県瑞浪市を木村さん、鈴木さん、飯塚さんらと一緒に訪ねて、白石洋子さんの本の準備を進めていたのだった。しかし、この企画はいつのまにかそのままになってしまっていた。それからおよそ20年後、鈴木一誌さんの力で「なんとか形に」なって本書に収められたのだ。
小川(白石)洋子さんは、2019年10月9日に亡くなれている。本書に収められている「小川プロの資料保存と映画『満山紅柿(まんざんべにがき)』―白石洋子の仕事を振り返る」(安井喜雄)が私にとっては、滋味深い読み物だ。最後のくだりに、1994年、白石さんは安井さんの神戸映画資料館に来て、その翌日には京都の河井寛次郎記念館を訪問、市内在住の柳澤壽男(ひさお)監督(1916~99)と夫人の磯田充子さんと京都の一日を楽しまれたとある。柳澤監督は、1989年から小川伸介のアドバイスで始まった「山形国際ドキュメンタリー映画祭」で、小川と交流があった。1993年の山形国際ドキュメンタリー映画祭では、前年亡くなった小川伸介監督を偲んで特集が上映された。また1999年の同映画祭では同年の6月に亡くなった、柳澤監督の追悼特集が上映された。柳澤監督と小川監督は年の差は20もあるが、岩波映画製作所にわずか1年間だが、先輩後輩として一緒にいたことがある。
そして、新宿書房が『そっちやない、こっちや―映画監督・柳澤壽男の世界』岡田秀則+浦辻宏昌・編著、造本=鈴木一誌+下田麻亜也+桜井雄一郎)を出したのは、2018年のことである。

いろいろな風が吹いてくる。