(13)ご近所さん(その2)
[2015/8/8]

 いきなりの訃報でした。T家のおばあちゃんがお亡くなりになったと、プランターに水やりをしていたとき、お向かいのご主人から聞かされ、驚きました。おじいちゃんの方も、ついこの前の年末に亡くなられたばかり。仲のいいご夫婦だったから、おひとりでは寂しかったのかもしれない。

 杉並区宮前2丁目に越してきて、約18年。その間、この通りにお住まいだったご高齢者が、いつのまにか次々にあちらへと旅だっていかれる印象だ。斜め向かいのお宅についていえば、まずゴールデン・レトリーバーの老犬が亡くなり、次におじい様が後を追うように亡くなられた。このお宅は、大変物静かな一家で、積極的に近所づきあいをされる方ではない。最近では、定年直後のご主人と山登りが趣味だった元気なおばあ様が、続けてお姿が見えなくなり、ああ、お亡くなりだったのだ、とだいぶたってから推察する有様。とてもプライベートな人々なのだ。

 地方と都会では様子も違うのだろうが、ひと昔前だったら、忌中の張り紙が玄関先に貼られ、人の出入りがあったりして、なんとなくそれとわかったものだが、そんなことも近頃ではとんとない。

 それとは逆のことになるが、例えば、不動産の売却情報などは、ネットですぐに周囲に知れ渡る。ご近所でも、どういう事情からか、建って十年足らずのお宅が売りに出ている。週末ともなると、購入希望のご夫婦などが見学に訪れる。売り地の立札が立ち、夏草の生い茂る土地も2か所ほどある。人の入れ替わりの少なそうに見える古い住宅地でも、世代交代を含め、変化は起きている。

 日焼け予防にすっぽりとボンネットをかぶり、毎日毎日、草木の手入れに余念のない奥様がいる。モッコウバラ、ピンクの小花をつけたクレマチス、芙蓉、もちろん朝顔など、フェンスにも庭の中にも、りっぱに咲き乱れている。ほっそりとした彼女、ホース片手に、だれかれとなく道行く人に話しかけ、親しみやすい人だ。赤い大きなバラを、顔みしりにおすそわけされることもある。

 実は、これまでに3回、消防自動車の出動を依頼したというエピソードの持ち主でもある。最初は、数年前このあたり一帯にごく局地的な大雨が降ったときのこと。大蛇が出たそうで、消防自動車に退治を依頼した。次は、住みついた野良猫が、どこやら出てきにくい場所に入り込んだとかで、救助の依頼。そして、3度目は、その野良ちゃんが産んだ子猫が、またまたどこかに迷いこんだとかで、出動依頼。そんな事情で、その子猫は彼女の家で飼われることになった。名前は、ポンプ。

 数年前の夏、わたしとしてはめずらしく特別早起きをして、朝のウォーキングに挑戦したことがあった。運動しなきゃという気持ちだったのだ。しかし、わたしの場合、長続きしなかった。5時前に起きるためには、夜も早く寝る必要がある。でも、どうもそれが習慣としてなく、結局は寝不足が続き、そうそうにやめてしまった。

 しかし、ご近所のYさんのご主人は、なんと公園で行われている早朝のラジオ体操を、かれこれ20年間続けておられる。定年退職直後から、始められたそうだ。悪天候のおりなど、さすがに最近は無理をされないようだが、ほとんど皆勤らしい。おみごとという他はない。

 1本向こうの道に面して建つSさんのお宅は、わが家とちょうど背中合わせの格好になる。2階の窓からは、Sさん宅の2階のベランダが見えるという具合だ。彼女は、優秀な鍼灸師さん。そして、わたしのよき友人でもある。50歳を過ぎたころ、鍼灸師の資格を取るための学校に通われたというガッツの持ち主だ。はり、灸、マッサージを、実に気持ちよく施術してくださる。1時間の治療の間、あれこれとよもやま話に花をさかせ、あるいは時に眠りこみ、わたしの体を調整してくださる大事な主治医さんみたいな存在だ。

 お隣のH家に、ことしのお正月、女のお孫さんが生まれた。ときどき、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。いいものだ。この赤ちゃんの出現で、このあたりの平均年齢が、ほんのわずかだが下がったかもしれない。


オーデコロンミント