(8)ルセナ、島ではない島
[2006/2/27]
 2003年の夏、パライバ州の州都ジョアン・ペソアに滞在していたとき、郊外のルセナに住む、パウロ=ホベルト、ティナ夫妻を訪ねた。パウロ=ホベルトは、みなから、親しみをこめてパウロ=ホ、と呼ばれている。パウロとティナはともにミュージシャンで、パウロが歌づくりとギターを、ティナがパンデイロなどのパーカッションを担当し、二人で歌う。もう30年以上、地元で地道な音楽活動を続けているカップルだ。

 二人の住むルセナは、ジョアン・ペソアの北に位置する、人口9000人に満たない小さな町。ジョアン・ペソアの中心部から、ぼろぼろの電車に乗って終着駅までゆき、そこからボートに乗って対岸に渡り、さらにバスで10分ほど揺られたところにある。ルセナは島ではなく、大西洋岸の町なので、ボートに乗らずに行く方法もあるのだが、わざわざ遠回りをしたのは、噂に聞くそのボートに乗ってみたかったから。それは、木造のボートに、走れなくなってしまったバスの車体をぱかんとのっけた「バス・ボート」だ。そして、この「バス・ボート」に乗ってルセナへ渡ったせいで、私は、ルセナがいまだに島であるような気がしてならない。
 
バス・ボート
 集落の中ほどにある、ちいさな教会前でバスを降り、数分も歩けばパウロたちの家に着く。沖縄の家を思わせる平屋づくりで、似たようなブロック塀がはりめぐらされている。門をくぐると、色鮮やかな黄色いハンモックが目にとまった。

 数えきれないレコードとCDのコレクションに囲まれた二人の居間で、パウロたちのCDをいろいろ聞かせてもらった。ティナが冷たいマラクジャ(パッションフルーツ)のジュースと、蜂蜜を垂らしたチーズを出してくれる。一息つくと、ティナが「シャワーを浴びて、ちょっとハンモックで休んではどう?」と言う。ノルデスチ(北東部)の友人たちの家に遊びにいくと、決まって、シャワーとハンモックでの昼寝をすすめられる。
 
ルセナのビーチ
 ティナに言われるまま、水シャワーを浴びて、ハンモックに揺られていると、そろそろ昼ご飯でも食べようか、ということになり、ビーチへ。パウロとティナの家からビーチまで、歩いて10分とかからない。ビーチには、とれたての魚を料理してくれる食堂がある。ちょうど、パウロたちとも親しいコックが、1メートルほどもありそうな大きな魚を手に入れたばかりで、切り身をそれぞれ焼いてもらった。お腹がいっぱいになると、ビールを片手に、いろいろな話をした。
 
ビーチの食堂で腕をふるうコックさん
 ふたりは1989年にMAR(Movimento de Arte - e apoio a sobreviv刃cia cultural/芸術運動及び伝統文化継承支援)というNGOを結成し、失われつつある地域文化、建築、文学、伝統音楽、踊りを後世に伝えようとしている。そのため、二人の音楽もパライバの伝統音楽をベースにしたものが多く、伝統的な踊りまで、コンサートのパフォーマンスに取り入れたりしているのである。パウロが歌い、ティナが踊りながら舞台をおりてゆき、あっという間に観客を集めて踊りの輪をつくってしまうこともある。伝統音楽は、歌詞がいたってシンプルなので、初めて聞いた人でも、すぐに真似をしながら口ずさみ、それにあわせて踊ることができるから、こんなパフォーマンスが可能なのだ。

 パウロの生み出す歌は、いずれも原始的な力強さと、ブラジル的なしなやかさにあふれ、ある特定のジャンルに分類することができない。そのせいか、地元では「ブラジル伝統音楽のアバンギャルド」などと評されている。パウロに言わせると、彼の音楽の原点は、生まれ育ったジョアン・ペソアの最も伝統的な地区、ジャグアリベにあるという。

 パウロがまだ子供だった頃、ジャグアリベ区では、まだ、人々が道ばたで昔の歌を歌い、昔の踊りを踊っていたそうだ。パウロはそんな環境で育った。そして、パウロの歌は、常にこのジャグアリベの街角の記憶へと戻って行く。

 パウロの兄のペドロ・オスマーもミュージシャンで、現在サンパウロで活躍中だ。ペドロとパウロが中心になって作詞作曲、さらにプロデュースまで行った「ジャグアリベ・カルニ」というCDは、ふたりが記憶の中のジャグアリベを呼び起こしたものだ。カルニは肉のことだが、「ジャグアリベ・カルニ」とは、「ジャグアリベのスピリッツ」という意味で使われており、グループ名も兼ねている。

 このCDには、同じくパライバ出身のシコ・セーザーや、レシーフェ出身のレニーニ、マラニョン出身のゼカ・バレイロなど、ノルデスチ(北東部)のMPBの名手たちも参加している。そして、シコ・セーザーが敬愛してやまないミュージシャンが、ルセナでひっそり暮らすパウロなのだ。

 ルセナで過ごした1日は、とてもゆったりとしていて、時間がどんどん膨張してゆくような感覚にとらわれた。ルセナでの時間は、離島での時間のようにゆっくり、ゆっくりと流れてゆく。帰りは、「バス・ボート」が出ていなかったので、大きなフェリーで海を渡ることになった。やっぱり私は、島にいたのだと思う。
 
パウロ=ホとティナ