(5)エンプレガーダ・ドメスティカ
[2005/3/26]
 2004年8月、テレジーナ市内の家庭に1ヶ月ほど居候させてもらった。ご主人は大学の文学部教授、奥さんは市内の病院の看護婦長、長男はちょうど医学部に入学したばかり、長女は日本でいう高校生である。中流よりちょっと上くらいの家庭環境だ。

 共働きの家庭では、たいていメイドを雇っている。その多くは住み込みだ。ブラジルの言葉で、エンプレガーダ・ドメスティカと言う。彼女たちは、朝から晩まで本当によく働く。メイドはエージェントを通して探す場合もあるが、親戚、遠縁の女の子を呼び寄せることも多い。

 2台の車がおさまるガレージと、小さな庭のついた一軒家は、最初からメイドとの共同生活を想定して設計されている。夫婦の寝室と夫の書斎、夫婦のバスルームがひとまとまりとなっており、2つの子供部屋と子供たちのバスルームがもうひとまとまり、そして、大きなダイニングキッチンと洗濯場、メイド室とメイドのバスルームがこれまたひとまとまりとなっている。家族がキッチンに立ち入るのは、食事の時と、コーヒーを飲んだり、おやつを食べたりする時だけだ。

 彼らのメイドはライムンダといった。黒人の血をひいた、スタイル抜群の美しい女性だ。ライムンダは1歳の息子マイケルと一緒に住み込んでいる。マイケルのパパはサンパウロで働いており、ライムンダは一家のもとで、しばらく働いてお金をため、サンパウロに戻るのだと言っていた。

 ライムンダは本当に働き者だった。朝は5時頃から起きて朝食を準備する。6時半には、テーブルいっぱいにノルデスチ(北東部)の伝統的な朝食がならん だ。ベイジューという、タピオカ粉をこねてつくる真っ白なパンケーキ、カジュー(カシュー)やマラクジャ(パッションフルーツ)のジュース、パパイヤや スイカ、りんごなどを小さく刻んだフルーツサラダ、濃くいれたコーヒー。食事がならびはじめると、家族はそれぞれ好きな時に来て食べるのだ。

 病院に勤める奥さんは、朝が早いので、大抵一番に朝食をとり、7時半には車で出勤する。ご主人は、当時研究期間中で、ほとんどの時間を自宅の書斎で過ごしており、時間的に余裕があるので、食後、8時ごろに長女を高校まで車で送っていく。長男は、当時、受かったばかりの大学がストライキ中で授業が始まらず、自宅待機を余儀なくされていたため、いつも9時頃に起きて、残った朝食を食べていた。

 皆が朝食を食べ終わると、ライムンダは食器を洗い、さっそく掃除と洗濯にとりかかる。彼らの家には洗濯機があるので、洗濯は楽ちんだ。でも、ノルデスチのほとんどの家庭では、洗濯はいまだ手洗いで、私がこれまでに暮らした家はどこも手洗いだった。ライムンダは洗濯機をまわしながら、まず掃き掃除をしはじめる。彼女の仕事ぶりを覗かせてもらって驚いた。昨夜はそれほどでもなかったが、みなが家を出払ったあとの部屋は、ごみ箱のようなのである。

 まずは主人の書斎。書き損じの原稿や、古新聞、いらないレシートなど、あらゆるものが床にちらかっている。夫婦の寝室も、長男の部屋も、長女の部屋も然り。とかした髪の毛がいっぱい床に落ちている。使った化粧水用のコットンも、綿棒も、くしゃくしゃに丸めたメモ用紙も、汚れた服もみんな床に散乱している。ライムンダはそれを当たり前のように掃き集めていた。そして、バスルームをきれいに磨き、ベットメイクをし、アイロンをかけてたたんだ服をそれぞれの箪笥にしまい、本棚や机をきれいに整頓して拭く。合間には、洗い終えた洗濯物を庭に干す。家はたちまちピカピカになった。

 11時頃になると、ライムンダは昼食をつくるため、またキッチンにこもる。にんにくとオイルで炊いたご飯、豆の煮込み、サラダ、そしてメインディッシュの肉料理か魚料理が一家のスタンダードな昼食だ。ライムンダは毎日、この暖かい料理を12時半きっかりに用意する。その頃には家族全員が家に戻ってくるのだ。キッチンの床で、まだ掴み立ちがやっとの息子を遊ばせながら、時には、息子を左手に抱いて、彼女は料理をつくっていた。

 エンプレガーダ・ドメスティカは家族と一緒に食事をしない。ライムンダはいつも、みなが食べ終わったあとのキッチンで、たった一人で食べていた。台所が片付き、熱帯気候だからたちまち乾いてしまう洗濯物をとりこんでしまうと、彼女はマイケルと昼寝をしているようだった。その後は、近所の家のメイドたちと毎日のように会っていた。彼女が他の家に出向くこともあれば、ライムンダの部屋に3人くらい集まっていることもあった。彼女たちは、毎日ずっと家の中にいて、街中に出かけたりということがない。食料品などの必需品は、主人たちが週に一度か二度、まとめ買いをし、メイドたちは滅多に買物には行かないのである。ライムンダの娯楽と言えば、同じメイドたちとのおしゃべりかテレビだけだった。私がサンパウロでしばらく暮らした家にも、北東部の田舎からやってきたニナというメイドがいたが、彼女の活動範囲は自分の家の近所だけで、サンパウロのことは何も知らなかった。

 夕方になると、ライムンダはケーキを焼き始める。彼女はいつも、塩味のものと、甘いもの2種類を同時にオーブンにつっこんでいた。このケーキは家族の夕食で、ほかには、朝食と同じように、フルーツサラダがたっぷりとついた。夕食が片付くと、ライムンダはすぐに部屋に閉じこもり、9時にはもう眠りについていた。

 私は、時間のある時には、せめて自分の使った食器くらい洗おうとしたが、ライムンダは一度も洗わせてくれなかった。洗濯物もそうだった。彼女は自分の仕事に誇りと責任を持っていた。

 でもライムンダは、単にメイドとして雇われている、という感じではなかった。2人の子供たちは、兄弟姉妹のようにライムンダと話をしていたし、主人も、奥さんもマイケルに、といって赤ちゃんの必需品などをよく買ってきたりしていた。家にいることの多い主人は、ライムンダが仕事をしやすいように、時にはパソコンに向かいながらマイケルのお守りまでしていた。

 あとどのくらい働けば、ライムンダとマイケルは、パパと一緒に暮らせるようになるのだろう。彼らの夢は、3人で住める小さな家を買うことだと言っていた。
 
テレジーナ市の街なみ。ブラジルで最も落雷の多い街だそうである