(4)アルマジロをさがして
[2004/12/26]
 「タトゥーって、すごくおいしいんだよ」。ピアウイ州テレジーナ市在住の友人にそう言われ、一度でいいから食べてみたいと思っていた。タトゥーとはアルマジロのことだ。アルマジロのココナツミルク煮は、彼の幼い頃からの大好物。その彼が、最後にアルマジロに遭遇したのは、1997年に仕事で出かけたマラニョン州のコドという街だったという。当時、コドの市場では、堂々とアルマジロが売られていて、同じ市場の食堂では、ココナツミルク煮を食べることができたそうだ。

 今から5年ほど前、アルマジロは、IBAMA(Instituto Brasileiro do Meio Ambiente e dos Recursos Naturais Renovaveis)と呼ばれるブラジルの環境庁により保護動物に指定されたそうだ。以来、アルマジロを捕獲したり食用にしたりすることは一切禁じられている。ブラジル北東部では、アルマジロはデリカテッセンなのだが、IBAMAのスタッフが抜き打ち調査にやってくるため、市場からはすっかり姿を消してしまった。

 2004年8月、私はその友人と、アルマジロ探しの小さな旅に出かけた。目的地は、彼が最後にアルマジロを見たというコドの街だ。

 最初、私たちはテレジーナに近いマラニョン州のチモンという街から、州都サンルイス行きの長距離バスに乗り、ディゼセッチで途中下車し、そこからロターサォン(ローテーション)と呼ばれる乗り合いのマイクロバスに乗り換えてコドへ行こうと考えていた。ところが、チモンで長距離バスを待っていると、コエーリョ・ネト行きのロターサォンが現れた。コエーリョ・ネトからコドまでは3時間ほど。ロターサォンの運転手たちは、とてもフレキシブルだから、もしかするとコドまで走ってくれるかもしれない。もし彼がコドまで行ってくれるなら、乗り換えなくてすむ。

 友人はさっそく運転手に、コドまで行ってくれないかと交渉しはじめた。
「で、きみたち、コドで何をするんだい?」運転手がたずねる。ブラジル北東部のひ
とたちは、みんな好奇心旺盛だ。
「実はアルマジロを食べに行こうと思っているんだ」友人は答える。
「きみたち、IBAMAの人間じゃないよね」運転手は怪訝そうな顔で、私たちを見つめ
る。
「違う違う。ぼくも、彼女もただアルマジロが食べたいだけさ。」

 私たちがIBAMAの人間でないことを知って安心した運転手は、コエーリョ・ネトに行く途中にアルマジロを出してくれるレストランを知っているから、まずそこで下ろしてあげようと言ってくれた。ロターサォンのドライバーは本当にいろいろなことを知っている。

 カシアスの手前で右に折れて、コエーリョ・ネトへ向かう途中、ドライバーは、看板も何もないバールのような一軒家の前で車をとめ、その家に入って行った。振り返って手招きするので、私たちも彼に続いた。ロターサォンの中には、私たちのほかに、コエーリョ・ネトに向かうお客が数人同乗しているが、みんな待たせたままだ。

「もう何日もハンターは現れないなあ」ご主人が言う。
「そうなのよ。それにハンターはいつ現れるかわからないし」奥さんが続ける。「でも、また時々寄ってみてちょうだい」

 やはりコドまで行くしかないな、と思っていたら、運転手がコエーリョ・ネトの知り合いの店で食べられるかもしれないから、到着したら連れて行ってあげると言ってくれた。彼は本当に何でも知っているようだった。

 コーリョ・ネトでロターサォンを降り、運転手の仕事仲間の小型車に乗り換え、町外れのレストランに案内してもらった。しかし、その店にもアルマジロ料理はなかった。やはり、このところハンターが現れないので、出せないということだった。環境庁のコントロールには誰もが敏感になっているようで、どの店でも、時々アルマジロを出していることは黙っておいて欲しいと主人に念をおされた。

 運転手行きつけのレストランで一緒に腹ごしらえをしてから、3人でコドに向かった。運転手は、私たちのせいで急遽コドに行くことになったのだが、いろいろ用事をつくったらしく、チモンには翌日の昼頃に戻りたいという。というわけで、私たちも、コドに1泊することになった。さて、明日の出発までに、アルマジロに遭遇できるかどうか?
 
コドの町。市場前の通り
 コドの町では、友人が7年前にアルマジロを食べたという市場に出かけた。コドの市場は、これまで私がブラジル北東部で見たどの市場とも異なっていた。それは、市場に隣接して食堂があり、年中無休、24時間営業しているのだ。その食堂だが、30あまりのコンパクトなキッチンが、屋台のようにずらりと並んでいる。そして、それぞれのキッチンで、そこを借りている料理人の女性たちが、それぞれの得意料理を作って出しているのである。とはいえ、常に全での「屋台」が開業しているわけではなく、どの時間に行っても、必ず誰かが料理しているというスタイルだ。

 市場の肉屋では、さすがにもうアルマジロを大っぴらに売ることはないということだった。アルマジロはハンターが直接、市場の料理人たちのところに持って行くそうだ。私たちが市場に着いたのは夕方で、3分の1ほどの「屋台」が開業中だった。アルマジロを出している人がいないかと尋ねてみると、扱っている料理人が3人ほどいて、明日の午前中には、そのうちの1人が来るということがわかった。

 私たちは、夜の8時ごろ、そして夜中にもう一度、この市場の食堂にやってきて、いろいろな料理を食べてみた。深夜の市場では、薄暗い光のなかで、2人の女性が黙々と料理をつくっていた。彼女たちは、朝6時頃に店じまいをするという。トラックの運転手らしき人が、夜食をかきこんでいる。食堂のベンチで寝ている人もいる。市場の食堂はほんとうに24時間営業していた。
 
市場の食堂。キッチンブースが並ぶ。どこでアルマジロを食べたかはヒミツ
 翌朝、私たちは、アルマジロを待ちきれず、7時にはもう市場へ出かけた。市場通りは10月に全国一斉に行われる市長選の街頭演説で盛り上がっていた。アルマジロの料理人はまだ来ていなかった。街を散歩し、9時にもう一度市場にやって来ると、彼女は料理をはじめていた。

「アルマジロ、食べられる?」友人が小声で聞く。
「あなたたちね、昨日から待っていたというのは!」彼女は、私たちが昨夜、この食堂に3度も現れたことを知っていた。
「ごめんね、アルマジロ、今日は手にはいらなかったの」
 ああ、残念。でも、彼女の準備していたレバーの煮込みがとても美味しそうだったので、11時頃に食べにくるねと約束し、食堂を後にした。

 11時に彼女のレバー料理を食べていると、食堂に運転手が現れた。
「アルマジロ、食えたかい?」笑ってたずねる。
「いや、だめだった」そう友人がいうと、運転手は15人ほどいた料理人全員に、尋ね回りはじめた。そして、一番奥の屋台のところから、レバーを食べ終えようとしていた私たちに手招きする。

 慌ててそちらへ行くと、驚くべきかな、アルマジロ料理があった。固い殻ごとぶつ切りにされたアルマジロは、ココナツミルクでコトコト煮込んであった。運転手は、手柄をたてたぞ、と言わんばかりの満足そうな顔をしていた。私たちは、すでにレバーをたっぷり食べていたが、1人前のアルマジロを注文し、わけあって食べた。運転手ももちろん、アルマジロを注文した。

 アルマジロの肉は美味で、鶏肉に似ていた。圧力鍋で柔らかく煮込まれているので、あの固い殻がぽろぽろとくずれる。アルマジロを食べるなんて、きっと最初で最後の経験だろうなと思いながら、その美味しい肉を噛みしめた。そして、この運転手に出会わなかったら、アルマジロを食べることはできなかっただろうなと思った。
 
アルマジロのココナツミルク煮