(3)バールに生きた人
[2004/11/21]
 カシアス市に、ヴェスパジアーノ・ハモスという名の広場がある。ヴェスパジアーノ・ハモスは前世紀初頭に亡くなったこの街の詩人だ。その広場の一角に、カンタレリという名のバールがある。

 カンタレリは70年代後半から80年代にかけて、リオ・デ・ジャネイロのサッカーチーム、フラメンゴの名ゴールキーパーだった。バーの主人は、このゴールキーパーを熱愛している。そのため、誰もが彼のことをカンタレリと呼んでいる。そして誰も彼の本名を知らない。

 フラメンゴの試合の時間になると、バールはファンたちでいっぱいになり、椅子とテーブルが次々と歩道に並び、やがて、お客は向かいの教会の入口の階段にまで座りはじめる。

カンタレリバー
 カウンターのそばの天井に近いところに備え付けてある小さなテレビを見ながら、みんなで応援するのだが、テレビが見えなくても、誰も気にとめない。フラメンゴがゴールを決めそうになると、みんな狭いバールの中に押し寄せて来て応援するのだ。

 このバールにはひとつだけ指定席があった。カウンターの傍の壁際のアリの席だ。アリはすらりとした美しい老人で、いつもにこやかだった。私が来ると必ず、バールの隣に住むおばあさんがつくるトーヘズモ(Torresmo)をおつまみに買ってきてくれた。トーヘズモは脂肪分たっぷりの豚の皮を長時間油で揚げ、塩をしたものだ。香ばしくてビールのおつまみにぴったりである。

 アリの差し入れのトーヘズモは、その時バールにいたお客みんなでわけて食べた。このバールでは、おつまみを持ち込んだ人は、必ず全てのテーブルにわけてまわる。時々主人が、気まぐれで炒り卵などの簡単な料理をつくると、それも必ずみんなでわけるのだった。

 ある日、アリの差し入れのトーヘズモを食べながらビールを飲んでいると、誰かが「カンタレリのつくるトーヘズモもおいしいぞ」と言う。翌日、カンタレリは、私にトーヘズモの作り方を教えてくれた。その夜、私はカウンターの傍のコンロでずっとトーヘズモを揚げて、お客にふるまった。アリには、合格点をもらった。

 今年、8ヶ月ぶりにカンタレリのバールを訪れた時、アリの姿は見えず、彼の指定席だった壁際に額装した詩が架けてあった。カンタレリの話によると、アリは1週間前に亡くなったということだった。その詩は、アリの友人の詩人、ナイドソン・カルヴァーリョによるものだった。彼の長い詩の一節がこれだ。


  「バールと生きて」

  きょう
  いのち尽きた
  この世のいのちに
  不幸な死のおとずれ
  そして彼をバールから遠ざけてしまった(拙訳)

 詩の向こうにアリの笑顔が見えた。

亡きアリへの詩