(2)詩人たちの大地
[2004/11/9]
 ハンブルクから4度の離着陸を経て、ピアウイ州のテレジーナに到着するまで、ほぼ30時間を要した。人口15万人を擁するマラニョン州の小都市、カシアスは、そこから車でさらに1時間ほどのところにある。州境となっているパラナイバ河を越え、カシアスに向かう一本道を走ってゆくと、緑濃い無限の低木地帯が現れる。アスファルト道の両脇の、乾いた赤土の色鮮やかなこと。ところどころに、その赤土と同じ色の家が、小さな集落を成している。

 カシアスの手前15キロメートルのところに、こんな看板が立っている。
「カシアス ー テハ・ドス・ポエタス(詩人たちの大地)」

 去年の始めは、見知らぬ街だったが、今ではここに幾人かの友達が住んでいる。彼らの多くは詩人だ。

 おんぼろジープでのろのろとカシアスの街に近づく。街は中心部まで赤い土埃にまみれている。確かにこの街は、街と言うより、大地と呼ぶにふさわしい姿をしてる。

 カシアスの街には地図がない。地図らしきものは、市役所が配布している観光パンフレットの裏の大雑把なものだけ。そのいいかげんな地図には中心となる通りの名前さえ記されておらず、これを頼りに街を歩くことはついにできなかった。地図のない街で暮らしたのは初めてのことだった。

 私が最初に住んでいたサンタマリア通りの近くに、ゴンサウヴェス・ディアス広場がある。ゴンサウヴェス・ディアス(1823-64)はカシアス近郊のジャトバという土地で生まれた詩人だ。

 いつしか、私はこのゴンサウヴェス・ディアス広場を起点として、頭の中に地図を描くようになった。この四角い広場は、私にとってカシアスの中心になり、最初の頃は、この広場にもどってこなければどこへも行けなかった。

 広場の中心に、金色に塗られたゴンサウヴェス・ディアスのちいさな像がある。偉大な詩人に、親しみやすく愛らしい造形を与えたのは、テレジーナに住む彫刻家ヴィウだ。そういえばこのゴンサウヴェスは、ユーモアたっぷりに話すヴィウの姿にちょっと似ている。

 ゴンサウヴェス・ディアスは、ブラジル文学がポルトガル文学を徐々に脱ぎ捨てはじめた、ロマン主義時代の詩人だ。この時代はインディアニズムの時代とも言われる。ポルトガル人の父親と、インディオの母親をもつ彼は、コインブラの大学に学び、その後はブラジルと欧州を往復しながら沢山の詩を書いた。インディオの血を引く彼の、斬新な詩のスタイルは人々を魅了した。しかし彼は、3度目の渡欧の帰り、船の転覆事故で死亡した。41歳だった。

 彼がコインブラでの学生時代に書いた、「カンサオン・ド・エクシーリオ(流離の歌)」はすべてのブラジル人が小学校で習う詩だ。若きゴンサウヴェスがポルトガルから故郷ブラジルの偉大な自然を懐かしんで書いたものだという。私はこの詩の二節目がたまらなく好きだ。

 ぼくたちの空にはもっとたくさんの星がまたたき、
 ぼくたちの沃野にはもっとたくさんの花が咲き、
 ぼくたちの森にはもっとたくさんの生命が棲み、
 ぼくたちの人生にはもっとたくさんの愛がある。(拙訳)

 私のブラジルへの素直な感情が、この一節にすべて表現されている。100年以上昔の詩の一節が、こんなにも活き活きと心に響いたことはかつてなく、私は、生まれて初めて詩を身体で理解したと感じた。

 カシアスにはおよそ150人の詩人が住んでいるという。この街の人々は詩の朗読をまるで音楽を聞くかのように楽しむ。学校や公会堂では、たびたび詩の朗読やパフォーマンスが行われているし、新聞や、掲示板、ラジオ放送から、バールやレストランの壁、家々の外壁にいたるまで、街は詩であふれている。詩がこんなにも人々に親しまれている街を、私はほかに知らない。

 この街の人々は詩を贈り物にする。人々は、結婚式や誕生日などに贈り物にしたいと言って、詩人のところに詩を教えてもらいにくる。詩人たちは、自作の詩の中から贈り物に相応しいものを選んであげるのだ。ほとんどの詩人が詩集を出版するチャンスに恵まれないので、詩は詩人のところに行かなければ、手にはいらない。詩はこのようにして、人から人へと、語り伝えられているのである。

カシアスの一風景