『ガリ版文化史』その後

志 村 章 子

ガリ版文化史』(1985年刊,田村紀雄氏との共編著)が、まさか17年後に重版(通算3刷)になろうとは。類書がないとはいえ、村山さんから連絡をいただいたときは、驚くやら、うれしいやら。しかも初版当時のままの活版印刷。これはもう奇跡に近いのではないか。

1970~80年代、私は『月刊文具と事務機』(1923年・創刊)という文具業界専門誌の編集者だった。一見ガリ版とは近いような遠いような世界だが、もともと謄写版(ガリ版)、そして消耗品のヤスリ、原紙、鉛筆、修正液、ヤスリ掃除用ブラシなどは、鉛筆や万年筆のように文房具店の定番商品だったので、ガリ版は私の仕事の範疇にあった。

それに私自身がガリ版刷りの愛好者であり、ガリ版の歴史をまとめる仕事は、いま思い出してもなつかしく楽しい日々であった。関係者への聞き取りや資料収集作業は、自身が長らく親しんできた簡易印刷器の広がりと深さのなかに身をゆだねる旅であった。私は、未だその途上にいる。

あれから17年。“手づくりメディアの物語”(『ガリ版文化史』のサブタイトル)の周辺の、度肝を抜くような様変わりについては語るまでもないだろう。この間に、ガリ版文化史の証言者として寄稿いただいた筆者のうち、少なくない方々が彼岸に旅立たれた。

謄写印刷を芸術にまで高めた若山八十氏、2・26事件を起こした反乱軍兵士がガリ版を買いに来たエピソードを話してくれた銀座・伊東屋会長の伊藤義孝、全国に知られた東京・神田の“謄写版のデパート”昭和謄写堂の創業者、幅弓之助、ガリ版刷り『甘楽農業新聞』の編集・発行者のたかせとよじ、戦中の中国謄写版事情に精通した松村正雄(堀井謄写堂上海支店に勤務)、同社天津支店員で“日本留学時”に草間京平や千田則之に謄写技術を学んだ中国人の李紹甲(リー・シャオジア)の各氏である。

聞き取り、資料・写真協力者の中にも亡くなった方が多く、いま私は、あの方、この方の温顔を思い浮かべ感謝の気持ちでいっぱいである。いまだガリ版文化史の周辺に出没している私を“ガリ版の志村さん”と言ってくださる向きもあるが、当時は西も東もわからぬビギナーであり、お会いする方すべてが私の師であった。合掌。

『ガリ版文化史』の出版を契機として多様な動きが始まった。堀井新治郎の謄写版発明100年にあたる1994年には東京経済大の主催で「ガリ版の100年展」とシンポの開催。同年秋には「ガリ版〈器材と情報〉ネットワーク」が発足し、以後8年間の述べ会員数は500人を超えている。

ルポルタージュ『ガリ版文化を歩く』(1995年刊,新宿書房)は、『ガリ版文化史』の続編といった内容だが、1930年代の北方教育運動の理論家・実践家であった加藤周四郎氏(2001年没)、綴り方教師で国分一太郎の婚約者だった山田ときさんらへの取材体験は、今でも私の宝ものである。それは暗くて重い時代を流れるひとすじの清流に似る。生活綴り方運動は、ガリ切りの音が聞こえてきそうなほど謄写印刷器が活躍したことで知られている。

その後、私の関心は、庶民層にまで広く謄写版が普及し、技術革新の始まる大正期から、昭和初期にかけてガリ版を駆使し、独自の表現活動を行った人々へと向いている。大正10年、筆耕者として本郷の文信社に勤務した宮沢賢治と初期謄写技術者たち、長野の白樺派教師の赤羽王郎、福島の農民詩人の三野混沌、大正末期から孔版多色刷りの美しい個人誌を発行しつづけた鳥取の分教場教師の板祐生など、個性派揃いである。

趣味家でもある祐生の東京で最初の展示会「孔版画に生きた板祐生の世界展」(2000年 銀座・伊東屋ギャラリー)も開かれ盛会であった。島根県との県境の山村に生まれ育ち、その地で生涯を終えた彼の人生の足跡はといえば、西は出雲市、東は鳥取市まで。にも関わらず祐生の人脈の多彩さには息を飲む。大正12年には、シカゴ大学の文化人類学者フレデリック・スタールまでが祐生宅を訪れ、一泊している。山村教師の生涯にわたる多彩な活躍を可能にしたのは、謄写印刷器(毛筆謄写版も併用)と日本の優れた郵便制度だったのではないかと思う。これらのユニークな人々については、次の本で紹介したいと準備を進めている。

さて、ガリ版の現在についてもふれておきたい。20世紀末メディアのガリ版への対応は、ちょっとおもしろかった。「絶滅危惧種ガリ版」、「日本最後のガリ版職人」といった記事ばかり。実をいうと、このガリ版、商業ベースでは20~30年前から絶滅状態である。しかし、世紀が改まったいまも、ガリ版ネットワーク、孔版画のグループ、そして全国で残る数少ないガリ版屋さん、明石市の安藤信義氏や徳島に坂本謄写堂も健在である。

近年目立つのが各地のガリ版関連の資料館などの開設や企画展の開催である。謄写印刷に関心をもつ関係者の増加も実感できるところだ。2002年秋には、水戸市常陽史料館で「謄写印刷の芸術-草間京平作品から」(9月12日~10月27日)が開かれる。また、大正末期~昭和初期の福島県下の詩人たちによるガリ版詩集を多数所蔵するいわき市立草野心平記念文学館では、特別展「昭和戦前のいわき 詩風土の開花」(10月5日~12月1日)で、詩の同人誌を展示する。

さらに最近顕著に見られるのが、ガリ版印刷の味わいにひかれて、謄写技術を習いたいというビギナーの増加である。ガリ版ネットワークでは、10月26日に「ガリ版《きほんのき》一日講座」の開催を決めた。

日本の近代が育んだともいうべきガリ版文化は、他の国に類を見ない独自のものである。草間京平らを頂点とする高度な謄写技術が次世代に伝承されつつあるのは喜ばしい。そのひとりが、熊本で活躍中の佐藤勝英氏(37歳)である。

ガリ版〈器材と情報〉ネットワーク:
川崎市多摩区3-2,3-7-106 電話044-933-4037 FAX044-933-4036

*筆者(しむら・しょうこ)はフリーライター。『ガリ版文化史』の共編著者、『ガリ版文化を歩く』の筆者。「ガリ版〈器材と情報〉ネットワーク」を主宰。