中上哲夫

ドゥルーズ物語 --もうひとつのジャック・ケルアック

 ジャック・ケルアックというと、これまでビート作家としての作品――『路上』『荒涼天使たち』『達磨行者たち』『地下街の人びと』『ビッグ・サーの夏』『孤独な旅人』――ばかり紹介されてきたのは仕方のないことだったかもしれない。なにしろ、《ビートの王様(キング・オブ・ビート)》なのだから。
 だがケルアックにはビート作家のほかにもうひとつの顔があって、それを見すごしてはかれの全体像をつかむことができない。それが、ドゥルーズ物語だ。かれ自身、『ビッグ・サーの夏』の扉にこう書いた。

 私の作品はプルーストの作品のように一つの巨大な書物を構成する。私の回想は病床で人生を振り返りながらではなく、人生を走り抜けながら書かれたものではあるが。初期の出版社の反対によって、私はそれぞれの作品で同じ登場人物の名前を使うことができなかった。『路上』『地下街の人びと』『達磨行者たち』『ドクター・サックス』『マギー・キャシディ』『トリステッサ』『荒涼天使たち』『コディの幻想』そのほか、この『ビッグ・サーの夏』をふくむ作品群はそれぞれ、私が『ドゥルーズ物語』と呼んでいる包括的な作品の1章ずつにすぎない。晩年になったら自分の全作品を集め、登場人物の名前を統一的につけなおし、長い棚いっぱいに並べた本を後に残して幸せに死にたいと思う。作品全体は巨大な喜劇をなす。それはジャック・ドゥルーズとしても知られる、私、ティ・ジャンの目を通して見られたものであり、彼の目の鍵穴を通して見られたものであり、彼の目の鍵穴を通して見られた怒濤をなす行為、愚かさ、そしてまた甘いやさしさにみちた世界である。(渡辺洋訳)

 つまり、ケルアックの意図は自分の全著作を一つの長大な書物とすることにあったのだ。《ドゥルーズ物語》という名の。その場合とくに重要なのはカナダを経てアメリカへやってきたフランス系アメリカ人の一家の物語であって、ビート作家としての側面を強調するのはジャック・ケルアックという作家の全体像を歪めてしまうことになるだろう。かれの作品群を瞥見すると、とりわけ後半生フランス系アメリカ人の一家の物語を書くことに強い意欲を持っていたことに気づいた。具体的にいうと――。

作品          出版年度  扱っている時期と土地
『ジェラルドの幻想』  1963  1922~26 ロウエル
『ドクター・サックス』 1959  1930~36 ロウエル
『マギー・キャシディ』 1959  1938~39 ロウエル
『田舎と都会』     1950  1935~46 ロウエル、ニューヨーク
『ドゥルーズの虚栄』  1968  1939~46 ロウエル、ニューヨーク
『路上』        1958  1946~50 全米
『コディの幻想』    1959  1946~52 全米
『地下街の人びと』   1958  1953    ニューヨーク
『トリステッサ』    1960  1955~56 メキシコシティ
『達磨行者たち』    1958  1955~56 西海岸
『荒涼天使たち』    1965  1956~57 西海岸、メキシコシティ、タンジール、
                          ニューヨーク
『ビッグ・サーの夏』  1962  1960    カリフォルニア
『パリの悟り』     1966  1965    パリ、ブルターニュ

 とくに、各作品が扱っている時代(時期)に注意して見てほしい。すると、これまでこの国で紹介されてきた作品たちはかれの生涯の後半生――成人してからの放浪記――を扱ったものに集中していることがわかるだろう。つまり、成人するまでのロウェル(マサチューセッツ州)という地方のまちのフランス地区で育ったフランス系カナダ人の生い立ちがすっぽり抜け落ちているのだ(英語は小学校に上がって初めて出会った。家庭でも町でも話される言葉はもっぱらフランス語だった)。それと、晩年自らのルーツを求めて出かけたフランスの旅を記述した『パリの悟り』が。

 ビートの年代記作家とみなされているジャック・ケルアックは(それ自体はかならずしも誤りとはいえない)、一方ではフランス系カナダ人一家の年代期作家たらんとした強い意図をいだいていた事実を見落とすべきではない。さもないと、ジャック・ケルアックという作家の全体像をつかみそこねることになるだろう。

 家庭や学校をドロップアウトし、全的な生を求めて世界中を放浪した青年期。それも、かれの真実であった。だが、放浪中のかれの精神をいつも占めていたのは自分は何者なのかという問いであった。そして、その問いに答えるためにかれの作家としての生涯はあったのだった。そのために、幼年期を回想し、フランスの西のはてのブルターニュにまで旅したのであった。

 具体的にいうと、ロウェルのフランス人地区での幼年期を回想した『ジェラルドの幻想』、少年期の夢と現実を綯い交ぜて語った『ドクター・サックス』、思春期の初恋物語『マギー・キャシディ』、フットボール選手の栄光と挫折をえがいた『ドゥルーズの虚栄』、そしてケルアック家のルーツを求めたフランスへの旅の記述『パリの悟り』などの作品たちだ。50年代のビート・ムーブメントの主導的な作家だったジャック・ケルアックのイメージを修正し、等身大の全体像をつかむためにも今後こうした作品たちが日本語として出版されることを強く願う者だ。そうなれば、ケルアックの像も大きく変わるだろう。新しいジャック・ケルアックの誕生だ。一ケルアッキアンとしてわたしもそのために微力を傾注したいと思う。

*筆者(なかがみ・てつお)は詩人、翻訳者。
モノマネ鳥よ、おれの幸運を願え』『ブコウスキー詩集』『孤独な旅人』『ジャック・ケルアックのブルース詩集』(共訳)『ビッグ・サーの夏』(共訳)の訳者。

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