ぶらぶら猫の京都便り
『ぶらぶら猫とパリ散歩展』滞在記
 2004年のゴールデンウィーク期間中、ぶらぶら猫は『ぶらぶら猫と花のパリ散歩展』のために10日間あまり京都に滞在した。展覧会場は四条烏丸と河原町の中間ほどにあるギャラリーMatiuS/8。四条通りや河原町ほどの人通りはないとはいえ、京都の中心部といえる場所にあり、目の前はあの有名なイノダコーヒ本店という好立地である。
展覧会場となったギャラリーのある堺町通り
趣のある古い建物もちらほら残されてはいるが、街並みと呼べるものはない。通りの左側のレンガ色の建物が展覧会場の「遊音ぎゃらり MatiuS/8」。通りの右側には、訪れる観光客の波が絶えないイノダコーヒ本店がある。

 実はぶらぶら猫は京都をまともに訪れたことがない。何十年も前に修学旅行で訪れて以来、何度か通過しただけで、じっくりと見て回ったことがないのである。都市を語る猫としては、いつかはゆっくりと観察したいと願っていた街なので、今回の展覧会は絶好のチャンスだと思っていた。しかし、残念ながら、ギャラリーの方が忙しくて、ゆっくり街を眺めるという目的はまったく果たせないで終わってしまった。

 それにしても京都の住所はややこしくて長いうえに、街中に通りの名や番地の表示がないために(なぜかドライバー向けのものはあるが、歩行者は無視されている)、他所(よそ)者は迷いやすい。住所を頼りにギャラリーを訪れようとしたぶらぶら猫は道に迷って、重いスーツケースを転がしながら相当な距離を歩くはめになってしまった。しかしこの住居表示、地元の人間にはとてもよくできたわかりやすい仕組みなのだという。

 よく京都人は他所(よそ)の人間に対して冷たく厳しいと言われるが、観光立国をめざす日本の中心的役割を担う都市であろうとするならば、京都は他所(よそ)から来た人間が歩きやすい街にならなければならないと思う。祇園商店街にあった「観光客をあたたかくもてなしましょう」という看板がおかしかった。わざわざこんな看板を出さなければならないほど、京都は他所(よそ)者に冷たい街なのであろうか?
     
ぶらぶら猫と花のパリ散歩展会場図

 ところで京都の建物といえば町屋である。豪壮な寺社建築よりも普通の街並みに興味のあるぶらぶら猫は、金閣よりも清水よりも、京都の平均的街並みを構成する町屋の方に興味があった。それも一軒の町屋ではなく、複数の町屋がつくりだす街並みに興味があった。最近ようやく活発化してきた保存運動のおかげで、町屋がつくりだす美しい街並みの保存されている地域もあるらしいのだが、駅をおりたち、街の中心部を訪れ、少し離れた住宅地のウィークリー・マンションに泊まった今回の短い滞在中には、こうした期待するような街並みを目にすることはできなかった。随所に「これが町屋か」と思える建物が点在していたものの、それらはマンションや商業ビルの谷間に点在するに過ぎず、既に街並みと呼べるものではなかったのだ。

 ぶらぶら猫が町屋を好きな理由は、それが都市の建築であることである。一軒一軒独立した家屋ではなく、集合体として街並みを構成してはじめて意味を持つ。だから街並みから切り離され、一軒だけぽつんと取り残された町屋には、完結した美しさは備わらず、不安定さがつきまとう。それはまるで、拙著『ぶらぶら猫のパリ散歩──都市としてのパリの魅力研究』で分析したように、パリのアパート建築にも共通する特徴だ。
数棟だけ残された京都の町屋(左)とパリのアパート(右)
*パリのアパートは『ぶらぶら猫のパリ散歩──都市としてのパリの魅力研究』より

 ぶらぶら猫の私見を述べれば、良い都市というのは、「他所(よそ)者」と「歩行者」に優しい街だ。さらにつけ加えれば、名所旧跡や古寺名刹のような「特別な場所」だけではなく、「普通の場所」が美しく快適な街であることも重要だ。こうした条件を満たして、「日本に京都があってよかった」、否、「世界に京都があってよかった」と言えるような街になってほしいと切に願わずにはいられない。
鴨川沿いの眺め
名物の「床」が始まったばかりだった。一度ここで食事をしてみたいと思っているのだが、京都の人はここ鴨川の床よりも、もっと北にある貴船の床を勧めるようだ。しかし、ぶらぶら猫は街中のオープンスペースが大好きなので、是非鴨川の床を体験してみたい。伝統的な京料理を出す店に加えて、最近では洋食やカフェなどの床もあるようである。

*筆者 藤野優哉(ふじの・ゆうや):元編集者。1999年より1年間、絵描きを目ざしてパリに留学。新宿書房刊行の『ぶらぶら猫のパリ散歩──都市としてのパリの魅力研究』の著者、『パリ半日ぶらぶら散歩──素顔のパリを知る13の魅力的な散歩道』の訳者。