(106)野に放り出されたフーテンのツネ
[2023/4/10]

ふたたび荒野を歩き始めた編集者    村山恒夫

昨年2023年10月末、出版社「新宿書房」を閉じた。新宿書房創業から53年目、私が関わってから43年目の廃業となった。編集者としてのスタートは大学卒業後、1970年に入社した平凡社が最初である。配属は『世界大百科事典』の編集部だった。仕事は百科事典の改訂版の編集、分野は社会系、それも文化というか、どこにも属さない分野もない、だれも担当しない雑(ザツ)部門だ。そして2年後に改訂版が発行されると、今度は1年ごとに刊行する大掛かりな百科事典の補訂を目指した、イヤーブック(百科年鑑)の創刊にかかわることになる。
ここで私はひとりのグラフィック・デザイナーに出会う。杉浦康平(1932〜)だ。この杉浦さんからは、百科事典、百科年鑑などのレファレンス系の書籍においては、大量の文字原稿の他に、これを視覚化し、フロー化、構造化することが、いかに大事であるかを、徹底的にしごかれ、学ぶことになる。杉浦デザインマインドは、机上にしがみつく編集者が編集部を離れ、写植屋さんや地図・図版の作成する工房の現場に足を踏み入れることことで、初めて実現できることを学んだ。ここで本(事典)とは、著者と編集者だけでない、さまざまな人々の共創・協働の中から生まれることを理解する。そして杉浦康平山脈と呼ばれる、中垣信夫、谷村彰彦、鈴木一誌、赤崎正一などのお弟子さんから、後々までお世話になる。
平凡社入社してから10年目の年に退社し、映画屋の父が1970年に創業した「新宿書房」をひとりで継いだ。当時は開店休業状態で専任の編集者はだれもいなかった。百科事典の編集には少しは自信がついた私だったが、こと単行本の編集についてはまったくのズブの素人だった。ここで私は3人の出版人、師匠に出会うことになる。小汀良久(1932〜1999)、松本昌次(1927〜2019)そして田村義也(1923〜2003)の3人だ。
小汀(おばま)良久さんは、未来社、ぺりかん社をへて、新泉社の社長だった。小汀さんは「質のある出版」として、次の3つのテーゼ、企画・営業政策を掲げていた。①出したい本を出す②残さねばならない本を出す③どこからも出ない本を出す、この3つである。これに私は④(企画・編集の途中でも)これを世に出してはいけない本と決断し中止する勇気を持つ、を加えて、単行本の出版活動を始めた。
松本昌次さんは、最初に出会った時は未来社の編集長だった。そして1983年に独立して影書房を創業する。松本さんは、右も左もわからない私を、取次や広告の関係者の間を一緒に歩いてくれ、これという人をつぎつぎと紹介してくれた。そして、ある編集のスキルを伝授してもらった。発行部数も少ない、したがって印税も少ない、どこの馬の骨ともわからぬ小出版社は、名のある著者からは一顧だにされない。幸運にも書き下ろし原稿をもらってもスカスカの内容のことが多い。そんなことより、著者がいままで新聞や雑誌に発表してきたものを集め、よく読み込み、自ら構成して単行本のシナリオをつくり、これを著者に提案すべきだ。著者も気がつかない新しいテーマの本が生まれるのだ。これが松本流の「編集単行本主義」である。「集め本といってバカにしてはいけない。著作の断片を組み立てて、構成、演出をすることこそ、編集のダイゴ味なんです」
新宿書房の最初の本は、『明治両毛の山鳴り―民衆言論の社会史』(田村紀雄著、百人社・発売=新宿書房、1981年)である。装丁は田村義也さん、当時はまだ岩波書店に在籍していて、いわば「日曜装丁家」の時代だった。自ら「編集装丁家」を名乗り、原稿の内容にも、書名の付け方にも注文を出す。「副題がある書名は、その書名に自信がないのだ」「装丁・造本という仕事は、編集者の最後の仕上げであり、まとめである」「編集もまた現場なのであって、著者のことも本の内容もよく知っている現場の編集者こそが、それにふさわしい衣装を着せることができる」・・・田村さんの言葉である。この田村さんから、カバー、本表紙、ボール、見返し、本扉、帯、本文の用紙の指定、花布(はなぎれ)、栞(しおり)まで、本についてあらゆること教えてもらった。
『田村義也―編集現場115人の回想』(田村義也追悼集刊行会、2003年)という非売品の本がある。作家、新聞記者、編集者、装丁家、印刷・製本・広告関係者など、田村さんと一緒に本を作ってきた、いわば「田村塾」の塾生たちによる追悼集である。
2021年12月に『新宿書房往来記』という本を、鎌倉にある「港の人」から出版してもらった。私が書き散らしてきたHPのコラムを、編集者の上野勇治さんが見事に演出・構成してくれた。巻末に「新宿書房刊行書籍一覧1970~2020」があり、非売品の作品集や社史などを除いたおよそ480冊の本が記載されている。これらの本に対して、先述の出版の4つのテーゼを、私は果たして守り通して来たのだろうか。

2023年5月、最後の本、『杉浦康平のアジアンデザイン』(発売=港の人)を出版することができた。そして新宿書房(Shinjuku Shobo)の本たちの一部は「SS文庫」として、港の人に引き継いでもらった。
こうして私は「ひとり編集者」となった。フーテンの編集者として、ふたたび荒野を歩き始め出した。
(ト書き:カラ元気に)さて、どこへ向かうのか、誰に会えるのか。





以上は『神奈川大学評論』(第105号、2024年3月31日発行)に書いた「編集者のおぼえ書き」の一文である。今回の特集は「移動」だった。