(99)いきなり秋がやって来た。そして落ち葉もヒラヒラと・・・
[2023/10/31]

◉『チュニジアっていいところ。』が『東京新聞』の第一面に
堀ミチヨさんの新刊本『アラブ・地中海の小さな国 チュニジアっていいところ。』が、10月17日の『東京新聞』夕刊の第一面([ひとHuman])に大きく載った。
「早生ライターの“チュニジア(国旗)愛”」「母妹で出版社 遺志を継ぐ一冊」
「初稿から20年 一から編集学び刊行」(記事の見出しから)
新宿書房から2冊の本(『女湯に浮かんでみれば。』『神保町 タンゴ喫茶劇場』)を出版した堀ミチヨさん(1974~2012)。その堀さんが遺していった原稿が、死後10年後に出版されたことは、当コラム(88)でも紹介した。今回、加古陽治記者が、母と妹による「小さな出版社」(イマココブックス)の誕生物語をとても上手にまとめてくれた。

◉『キャメラを持った男たち』、伊勢原市での小さな上映会
ドキュメンタリー映画『キャメラを持った男たち—関東大震災を撮る』の上映会が11月15日、神奈川県伊勢原市で開催された。主催者は地元の陶芸家(「源太夫窯」を主宰する村山恵子さん)、会場は伊勢原石田クリニック(中井賢二院長)内の小さな体育館だった。
関東大震災震源地の神奈川県、当時の中郡成瀬村(現・伊勢原市成瀬地区)では13人が亡くなったという。当日取材にきた『神奈川新聞』報道部記者・井口孝夫さんによる記事(連載コラム「震災1923 100年の先へ」の「記録映画で教訓共有」)が10月18日の朝刊で掲載された。私は、製作者の村山英世、監督の井上実と一緒にこれに参加した。この上映会をきっかけに伊勢原周辺でさらに『キャメラを持った男たち』の上映の機会が増えることを願う。


上映後、あいさつに立つ井上実監督(左)


『神奈川新聞』から

◉鈴木敏夫著『歳月』(岩波書店)を読む
知り合いのOさんから、この本に村山新治監督のことが出ているよと教えてもらい、阿佐ヶ谷駅近くの書店で早速購入した。7月に岩波書店から出た新刊だが、初出は共同通信配信の連載コラム(2016年1月~2023年3月)、この連載は今も継続中だ。
著者の鈴木敏夫さんはスタジオジブリのプロデューサー。単行本収録の86回の連載記事の65人目(2021年5月)に、「村山新治監督  モノクロの映画に降る雪は本当に冷たかった。」が登場する。鈴木は隠れた村山新治ファンだといい、その村山を知ったのは映画『故郷(ふるさと)は緑なりき』(ニュー東映、1961)だ。
中学1年の時に近くの東映封切館(名古屋の「志賀東映」)でこの映画を見る。それ以来、「村山新治という人は、ぼくにとって特別な人になった」。
28歳のころ、雑誌編集者になっていた鈴木は、大泉にある東映の撮影所で村山新治を間近に見て、ショックを受ける。村山は子ども向けのテレビシリーズ『宇宙人キョーダイン』(1976~77)の各話演出のひとりとして現場にいたのだ。
「いったい、何故?あの名作『故郷は緑なりき』の監督のやる仕事ではない……。」
1974年頃から、村山新治には劇場映画の仕事が来なくなり、テレビの仕事をなんでもこなす職人映画監督になっていた。“大人”になった鈴木敏夫は、いまはCSの映画チャンネルで村山の名前を見つけると、その〈技〉を楽しんでいるという。
先日、日本テレビによるスタジオジブリの子会社化が発表され、記者会見には鈴木敏夫も出て、このニュースは世間を驚かせた。しかし、これまでのスタジオジブリと日本テレビの関係を深く知っている人にとっては、この子会社化の話は不思議でもなんでもなかったようだ。
そのキーパーソンは氏家斎一郎(1926~2011)、日テレの代表取締役会長だ。読売グループの総師ナベツネ(渡辺恒雄 1926~)の旧制高校、東大時代からの盟友だ。この氏家氏は三鷹の森ジブリ美術館の2代目理事長でもあった。
本書の『歳月』のトップバッター(2016年1月)は「氏家斎一郎さん  ぼくはドギマギしながらその手を強く握った。」だ。
鈴木敏夫さん、さすが、気配りの名プロデューサーだ。手抜かりはない。