(96)さらに追補『キャメラを持った男たちー関東大震災を撮る』映画評特集
[2023/9/20]

映画評 15
同じ被災者である被写体の人々から怒鳴られながら鉢巻で「決死隊」を装っていた話や、映像の端に映りこむカメラを庇っている助手の姿など、これまである程度学んでいた大震災のイメージに、全く知らなかった話が明らかになり、いっそうリアルに当時の状況を考えられるようになりました。
特に、一瞬映った避難者の書きつけの名前の本人が特定でき、その家族の方々の現在がライフヒストリー的に追われていく展開は、それ自体が本当に驚きで思わず上映中に声が出てしまいそうになったのですが、大震災を生き延びたその方が22年後の大空襲で亡くなっていたという事実がショッキングでした。
大震災をめぐるドキュメンタリーにせよ研究にせよ、震災をひとつの独立したイベントとして扱う場合が多いと思うのですが、この方のエピソードから、改めて大震災と戦争とはたった20年ほどしか離れていない同じ時間軸上の出来事であって、当時の人々の人生の中ではその両方が経験されていたことを痛感しました。同じように震災を生き延びながら空襲を生き延びることができなかった方は他にも大勢いたのでしょうね。
今月頭に放送された、佐藤健二先生も出演されていたNHKスペシャルは、当時の映像を資料として関東大震災そのものを緻密に描き直すという大作でしたが、『キャメラを持った男たち』は当時の映像そのものを対象として、そもそも我々が観ている震災の映像資料がどのような社会的状況の中で撮影され、複製され、継承されてきたのかという根本を問い直していく大作だと感じました。
どこで撮影された映像なのかが不明瞭になってしまった背景には、震災をスペクタクルとして消費する全国規模の「際物」流行があったこと、そして京都での上映の成功を受けて「愉快」だったというカメラマン自身の記述は、被災し映像を撮影した彼ら自身も、当時の社会的状況の中で生きていたことを表していますね。
東日本大震災の津波を撮影したカメラマンの方の「良い画を求めてたまたま高台に行ったが避難の意識はなかった」という証言が本当にリアルで、関東大震災のカメラマンたちが被災直後から撮影を開始したのも、後世に記録を残すという英雄的な使命感からというよりは、ただ直感的にこの光景を撮りたいという衝動からだったのではないかと想像されました。
この衝動は、ある意味では震災を消費してしまうようなベクトルを持つと同時に、しかしこの衝動があったからこそ関東大震災も東日本大震災も記録され、後世の我々が確実にその様子を目の当たりにすることができるということでもあり、撮影という営為の奥深さを感じました。
ナレーションでは朝鮮人への虐殺についての直接的な言及はありませんでしたが、「3人のカメラマンたちと同様に震災の記録を残しながらも、震災の中でその記録ごと亡くなってしまった方がいたかもしれない」「残されなかった記録が無数に存在するはず」というメッセージは、繰り返し映された朝鮮人慰霊碑の映像と相まって、記録として残されることすら許されなかった人々への想像力の重要性を強く訴えるものでした。
(東京大学大学院 博士課程学生・桐谷詩絵音 KIRIYA Shiene)

映画評 16
この映画の中に登場する芦澤明子さんのお話を聞くまで、三人のキャメラマンによって残された大震災の映像が、可燃性フィルム(ナイトレ-トフィルム)で撮影されたものだということをすっかり失念していた。可燃性映画フィルムが難燃性フィルムに置き換わっていったのは1950年代だから、当時可燃性フィルムが使用されていたというのは言うまでも無いことなのだが、そんなことも忘れるくらい大震災の映像に見入っていたのだと思う。
映画好きなら『ニュー・シネマ・パラダイス』の映写室が火事になるシーンといえばピンとくる方も多いかもしれない。可燃性映画フィルムの原料は「硝酸セルロース」という爆薬のような物質だから、一度着火すると爆発的に燃え、燃え出したらフィルムが完全に燃え尽きるまで消えない。本来、「火気厳禁」の代物なのである。
この映画に登場する三人のキャメラマンは、そんな危ないフィルムを抱えて、震災直後の火の手が多数あがった東京を歩き、文字通り命がけであの映像を残したのである。TVやラジオすらない時代、数日前に起こった大震災の映像を見た関西の人たちはどれほど驚いたことだろう。
今では、誰もがスマホを使って貴重な映像を簡単に撮ったりスクープしたり出来る時代になった。でも、この映画に登場するキャメラマンたちの残した映像には、また別格の重みがあるような気がしてならない。
(フィルム技術者 ねもと)


色も音もない映像の世界

映画評 17
この映画を通じて3人のカメラマンのみならず、様々な人の視点から大災害を捉え直すことができた。映像の中に映し込まれた人、映像で大いに儲けた人、今現在その貴重なフィルムを守るアーキビストや、そこから情報を読み解く災害史家などだ。そして観客にも大震災とどう向き合うのかを問いかけているように思えた。
ショッキングなものを含めてリアルに映し出されるシーンの中で、私自身、最も印象的だったのは、被災地を巡視する摂政の宮(後の昭和天皇)の騎馬姿であった。それからわずか22年後の敗戦という破綻に向けて、日本が転がり落ちていったことを知っているためである。
今日の私たちは阪神淡路大震災と東日本大震災という巨大な悲劇を経験し、阪神淡路の数年後にバブル経済が弾けて、30年以上も「失われた」時代を生きている。その時代は、朝鮮人虐殺など歴史的事実を無かったことにしてまでも、特定の方向へ人々の意識を統合しようとする空気が覆っている。それでいいのだろうか。また、地震や台風など自然の脅威と向き合わざるを得ない日本で暮らす以上、理性的で科学的であらねばならないし、その基盤として正確な記録を残し継承していかなくてはいけない。
そんな基本的なことを改めて考えたのであった。
(美術印刷・オサム兄ぃさん)