(89)ついに『杉浦康平のアジアンデザイン』が刊行される!
[2023/7/11]

『杉浦康平のアジアンデザイン』(杉浦康平+アジアンデザイン研究組織著、発行=新宿書房・発売=港の人)が出版されてから、およそ1ヶ月がたった。本書はこれから長く、長く読み継がれ、多くの読者と出会う本となるにちがいない。そのことを考え、鎌倉の出版社「港の人」に発売元をお願いした。
すでに3つの書評・紹介が出ている。

『日本の古本屋』
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg....(メールマガジン6月13日配信)
筆者は本書の編者であり、デザイン・組版も担当した赤崎正一さん。タイトルは「戦後デザインの最大の謎、杉浦康平のアジア転回を解き明かす。『杉浦康平のアジアンデザイン』」。本書のもととなる3年にわたる4回(予備を入れると7回)の連続インタビューは、2017年度から神戸芸術工科大学の共同研究として実施されてきた。赤崎さんは元・杉浦デザイン事務所のスタッフ(1976~1996)でもあった。ここで赤崎さんの文章を一部紹介したい。

 「インタビューによって知り得たのは、杉浦の終始一貫しているデザイン思考と表記の質に対する偏執的とも言えるこだわりです。表面に現れる外形的なデザインの相違にも関わらず常に自律的システム的に「プロセス」の中で成立するデザインへの志向です。」
「杉浦自身によって「アジアンデザイン」が詳細に語られた本書は、これまで前提とされてきた「近代」の「デザイン」の在り方そのものを問うものです。」

『図書新聞』第3598号、7月8日号


『図書新聞』の紙面の上部

第5面(学術・・・思想)「特集 杉浦康平のデザインを読む」、ここでは2冊の本が取り上げられている。左面は、『杉浦康平と写植の時代―光学技術と日本語のデザイン』(阿部卓也著、慶應義塾大学出版会)の書評(評者は『図書新聞』米田鋼路さん)。右面が本書『杉浦康平のアジアンデザイン』の書評。筆者はノンフィクションライターの新庄孝幸さん。タイトルは「杉浦デザインの発想の土壌を開示する―神戸芸術工科大学が取り組んだプロジェクトの成果」。「…ヴァーチャルなデジタル情報空間のなかで変容し続けるデザインの表現を、70年近くにおよぶ自己のグラフィックデザイン史を検証しつつ、改めて批判的に問い直す。…」そして「…巻末には杉浦のデザインを特徴づけたダイヤグラムを髣髴させる[杉浦康平年表]が付され、詳細な注も歴史や事項をたどる手がかりとなる。アジアンデザインの宇宙へといざなう手引書にして、事典の性格も兼ね備えた書である。…」。
ここは本書の下働きをした編集者をおおいに泣かせる文である。評者は最後を次のように結んでいる。「本書は学生のみならず、広く深く関心をいだく読者に、杉浦がデザインをつくりだしてきた発想の土壌とその根源を開示する、知のデータベースとしての価値を有している。」
『海の近く』(6+7月号)
これは湘南・西湘のフリーマガジン。「鎌倉の出版社[港の人]の本便り」として「本の海に漕ぎ出そう」というコラムが毎号掲載されている。今回は第53回目で、『杉浦康平のアジアンデザイン』が取り上げられた。「…デザインという言葉は、かっこよく表面を整えるような意味合いで使われることが多いですが、杉浦氏がやってこられたことはまったく逆で、表面でなく裏側にあるものに意識を集中し、出来上がったものでなくプロセスこそがデザインとします。…」うーん、なかなかうまい。


『海の近く』より

本書の編集・デザイン製作期間は一昨年から始まり、本格的な校正作業は昨年の1月から今年の5月まで続いた。杉浦さんによる著者校正は本編から年表までの全編及び、章によってはなんと5校!を数えた。そのたびに細部にわたり、まるで記憶が湧き出るような加筆・訂正の鉛筆が入れられて戻ってきた。赤崎―杉浦―新宿書房の間を、数えきれない量のレターパックが行き来した。
『図書新聞』の評にもあるように、年表、本文下の脚注にも力を注いだ。しかし、ファクトチェックにはまだまだ十分ではないところもあるにちがいない。デザイン、出版は文字通り共同作業だ。たくさんの現場と人が関わっている。脚注に登場する編集者、放送関係者、新聞記者、出版人、写植・印刷関係の人びと。みな杉浦ワールドに伴走してきた仲間だ。このうちかなりの方とは、杉浦事務所を通して知り合いだが、そのなかにはすでに亡くなった人も多く、私にとってなかなかつらい場面もあった。
「…1979年から1992年の間に開催された国際交流基金主催のよるアジア各地の伝統文化・民族芸能の紹介を目的とするイベント・プロジェクトは、杉浦がデザインの枠を超えて深く関わったものである。これらの企画の進行の渦中において、コンセプトの構想からデザインの実務までを通して、本書におけるテーマ「アジアンデザイン」の概念が、確立されてゆく重要な契機となった。」(本書「まえがき」p13~14)
この国際交流基金のディレクターだった和田純さん(1951~)こそ、この企画のキーパーソンだった(p26~27)。この和田さん、峰岸由紀さん、リチャード・エマートさん、中垣信夫さんと組んで平凡社から「アジア伝統芸能の交流」(略称ATPA:アトパ)の英文の報告書を2冊出版したが、その編集者は私だった。和田さんと杉浦さんをつなげたひとりは私でもある。実は和田さんとは平凡社の『百科年鑑』(1973~80)でも筆者(毎年の常設項目は「在日朝鮮人」)―編集者とのつながりがあった。
参考サイト:
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I002932982-00

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003695115-00
さて、最後に小さなイタズラを紹介しよう。本書『杉浦康平のアジアンデザイン』の巻末のp222~223には何があるだろうか。工作舎から出版されている杉浦康平さんの編、企画・構成、著の書籍群の広告が入っている。赤崎さんのアイデアで、工作舎の田辺澄江さんに頼んで広告版下まで作ってもらったのだ。雑誌ならいざしらず、単行本の中に他社の広告を入れるとは。

さあ、眺めのいい本、杉浦ワールドを回游してください。