vol.33

四谷三栄町耳袋(10)  [2002/01/11]

声なき声の会

いまから40年前の昔、安保闘争のさなか、6月4日、画家の小林トミさんが、「誰デモ入れる声なき声の会」と書いたブラカードを持って群集のなかにたたずむ。「500メートルでも1000メートルでも行進しましょう」と呼びかけて、初めて「声なき声の会」という横幕とプラカードをかかげたデモが行なわれた。

先日、小林トミさんから『声なき声のたより』の97号(2001年12月15日発行)が送られてきた。40年も続いている集団。鶴見俊輔さんは、「おどろくのは、これが、老人の学校になった」(同たより96号)と書いている。以下再録するのは、97号の冒頭にある鶴見俊輔さんのエッセイである。

小林トミの思想
鶴見俊輔

 小林トミさんがはなしているのをきいて、ここが、余人をもってかえることのできない小林トミさんの本領だなと思った。
 いつも、そう思っているわけではない。なにかおおざっぱな形で、平和にむかって努力している人だ、とふだんは思っている。そのふだん思っている小林トミさんの印象(私のもっている小林トミ像)のうしろに、本領がかくれているのだ。
 日比谷公園で大きなデモがあったときのことだ。私はそこにいなかった。だからトミさんの言ったことを覚えているままに書く。
 ベトナム戦争支持を表明する佐藤栄作首相の訪米を阻止しようというデモの中で、もののべ・ながおきさんが起って演説した。首相のこの行動の重要性を述べたあとで
 「自分はこれから出かけます。佐藤が死ぬか、私が死ぬかです」
と結んだ。彼について、声なき声の仲間もその場を立って続き、トミさんはとりこのこされた。トミさんもまた、
 「佐藤首相の訪米には反対です。しかし、自分の生死をかけるという過激な行動を私たちがすることには賛成できない」
という演説をしたが、トミさんにつく人はほとんどいなかった。
 1960年6月4日、「声なき声」のデモのはじまり以来、この仲間は普通の人にできる範囲での反対行動をくりかえして40年あまりたった。しかし、この1967年11月12日のように、大きなデモの一部分となって、自分たちが動く場にたつと、小林トミさんがいつも説いているおだやかな行動をかなぐりすてて、過激な行動に同調する「声なき声」そのものである。
 この場で人びとをわきたたせたのももべ・ながおきさんは、すぐれた人である。敗戦直後の民主主義科学者協会内部の日本共産党フラクションとして、この大きな組織を動かした人であり、その事情をいったり、『朝日ジャーナル』にエッセイとして書いた。この率直な表現の故に、運動としての民科の姿は、はっきりと歴史にのこった。もののべさんは、民科においてだけでなく声なき声の列隊にあっても、小林トミさんよりはるかに仲間をひぱってゆく力をもっていた。
 このとき小林トミさんが、いつもとかわらず、自分の姿勢をもって仲間に対したことは、なかなかできることではない、と私は思う。
 この40年あまり、午後9時をすぎると、
 「家に帰るのに時間がかかりますから」
と言って、集会をはなれ、さっさとひとり帰っていくトミさんが、このときにもそこにいた。

なお。『声なき声のたより』のバックナンバーは合本として刊行されている。

『声なき声のたより』(1巻、2巻、いずれも本体3883円。1996)思想の科学社

声なき声の会
〒272-0832 柏市北柏2-6-2 小林トミ方


朱夏

文化探究誌『朱夏』(せらび書房)が10周年記念増大号(第16号)を刊行した。今回の特集は「戦争遺跡の現在」と「植民地へのアプローチ・この十年」(満洲国・上海・朝鮮・樺太・南方)。田中益三さんと宮下今日子さんの二人が主宰する同誌の特色は、日本旧植民地や日本旧占領地のアジアの文化全体を対象にしていることだ。新宿書房も1996年に黒川創編『外地の日本語文学選』(全3巻)を出したが、旧植民地の研究はまだまだ端緒についたばかりだ。

2001年末にオープンした日本政府の「アジア歴史資料センター」。国立公文書館、外務省外交資料館、防衛庁防衛研究所のデータベースからは、すっぽり落ちている文化資源。『朱夏』誌の役割はこれからもけっして小さくない。

せらび書房 
〒181-0004 三鷹市新川4-3-28
Tel/Fax.0422-44-7445
http://www1.odn.ne.jp/serabi/

アジア歴史資料センター 
http://www.jacar.go.jp/


バンディアミールとアイハヌム

アフガニスタンに関係する2つの本。一つは長見有方(ありかた)写真集『アフガニスタン 遥かなり』(ナユタ出版会、本体1143円)。もう一つは加藤九祚一人雑誌『アイハヌム 2001』(本体1800円)。

長見有方さんは、『水仙』『色丹島記』の著者、長見義三さんの息子さん。某出版社の写真部に籍をおく写真家。24年前の1977年のアフガニスタン。バーミヤン、神秘の湖バンディアミール。9.11(ナイン・イレブン)の2ヶ月後に再現された失われた世界。

ことし80歳になる加藤九祚さん。国立民族学博物館教授、創価大学教授をへて、現在は98年からウズベキスタンのカラテパの仏教遺跡を発掘中。

雑誌名のアイハヌムはアフガニスタン北部のグレコ・バクトリア王国時代の遺跡名に由来するという。1946年にフランスの考古学者の手によって発掘された遺跡で、真正ギリシャ人都市の存在が確認された。

『アイハヌム 2001』は2001年11月20日発行で、年1回のペースで刊行するようだ。雑誌のねらいは「中央アジアを中心に、古代・中世における世界的規模での多様な文化・文明の交流と共存の歴史を考えること」(同書から)にあるという。

加藤さんは1945年8月20日、満州東南部で敗戦を迎え、1950年までシベリア東部で5年間の抑留生活を送った。

アム川の流れかなたアフガンの白き砂丘に羊の群れ見ゆ(加藤)
シベリアの捕虜で過ごせし五年の記憶は今も胸によどめり(加藤)

2つの本が、アメリカによるアフガニスタン空爆が続くなか、極東の地で誕生した。

参考文献:
長見有方写真集『アフガニスタン 遥かなり』ナユタ出版会
Tel. 03-3260-8310

加藤九祚一人雑誌『アイハイム 2001』東海大学出版会 
Tel. 03-5478-0891

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