vol.27

四谷三栄町耳袋(6)  [2001/10/12]

編集単行本主義

戸坂潤のエッセイに「論文集を読むべきこと」というタイトルがあるそうだ。松本昌次(まさつぐ)さんの新刊『戦後出版と編集者』(一葉社)を読むうちに、その一部が同じ松本さんの『ある編集者の作業日誌』(1979年、日本エディタースクール出版部)からも再録されていることがわかった。旧著を拾い読みしていくうちに戸坂の文章のことを知った。松本さんは1983年から影書房の代表をつとめ、それこそ、小出版社の主として編集、校正から品出し、郵送までの雑務を今も若い編集者と一緒に毎日汗を流してやっている。日本を代表する編集者であり、おそらく現役では最長老(1927年生まれ)の一人だろう。

松本さんは「単行本づくりへの偏好」というエッセイでその戸坂潤を文章が紹介している。戸坂は論文集や評論集はあまり売れないから、書き下ろしの単行本を書けという本屋(出版社)のすすめに対して、一例として、絵の普通の展覧会はとても見るに耐えないけれど、「個展」は実におもしろいと言って、これに反対する。

1冊の本を例にとれば、論文集や評論集などは、著者の「個展」を見る思いがあり、1枚のデッサンやスケッチは原稿でいえば、数枚の小さな文章に比較できる。そこには大論文や長編評論・小説の主題に深く関係する原型がひそんでいることが多いという。

「或る人の考えを最も特徴的に知ろうと思う時、私など最も頼みにするのは、その人の論文集や評論集なのである。(中略)大がかりに書き下ろした<体系的>な著述の類は、云わば文筆的な儀礼が大部分を占めていて、筆者の本音は仲々伝えられるものではない」(戸坂)

どんなに秀れた著者であろうとも、一つの論文や評論ですべてが言い尽くせない。他の作品、論文と関連しあい、相補い会うことによってはじめて著者の意図が理解される。それぞれの一篇一篇の「著者の思考の苦心の跡をたどる」ことによってはじめて、著者の思想を読者は諒解しうると、松本さんは書いている。

松本さんは単行本の持つ強靱な思想的・芸術的価値を深く信じてきたからこそ、経営的に最もつらい専門的な論文集の単行本を出しつづけてきたという。1983年5月31日をもって30年と1カ月在籍した未來社で実に1720余点の新刊に立ち会ったそうだ。

いわば「編集単行本主義」ともいうべき松本昌次さんの真骨頂は、新刊の「丸山眞男」の項で大いに発揮されている。いわば、全集、選集の編集スタイルをどうするか、という問題だ。「著書スタイル」をとるのか、「著作編年体スタイル」をとるのか、という極めて重要なポイントを提示している。『丸山眞男集』(岩波書店)が、すべて著作編年体を採用していることに対して、こう言う。

「例えばここに花田清輝さんの『近代の超克』(未来社、1959年)を持参したんですが、このなかに丸山眞男への反論が入っているわけです。これは全部やっぱり、この時のそのテーマに即して『近代の超克』というエッセイ集を編んでいるわけですね。つまり丸山さん批判とも関連するような文章が入っているわけです。これを全部バラバラにしてしまうと、一人の著者の年代順に整理された"索引"になってしまうんではないでしょうか」

編年体でいきながら、著書のあるものは著書として残す。そこには松本さんが苦心して編集して、ついに名著となった丸山眞男の『現代政治の思想と行動』(上下2巻、1956~57年、未来社)を誕生させたという、絶対的な自信が窺えるし、その単行本のもつ時代的、思想的意味を強調しているのだ。

1981年か82年ごろだろうか。当時、電通の出版広告にいた木村迪夫さんに案内されて、新社屋建設中とかいうことで、駒込駅近くにあった未来社の仮事務所に松本昌次編集長を訪ねたことがあった。

出版者として改めてスタートをするにあたって、松本さんのアドバイスをいただくためだ。「集め本といってバカにしてはいけない。著作の断片を組みたてて、構成、演出することこそ、編集のダイゴ味なんです。モザイクのように組みたてて、欠けているところを書き足してもらったり、重複するところを削ってもらったり、結果的に、著者も予想しなかった広がりのある論文集、評論集が生まれるのです。スカスカな書き下しをもらってどうするんです。しかも、私たち小出版社が書き下しをお願いすることは著者に大きな犠牲をしいることになるんです」

松本さんの「編集単行本主義」は、小出版社の小部数出版という経済学的ワケからも裏打ちされていたのだ。

著者から一顧だにされない小出版社。だからこそ、そこの編集者たちは著作をよく読み込み、よく調べ、シナリオを持って著者に提案し、口説き落とさなければならない。松本さんの新刊は、「著者とどう一緒に本を作るか」という、優れた教科書になっている。

さて、経済感覚も編集能力も高めてきている著者に対して、オンライン時代の編集者はどうすればいいのだろうか。それにもう、著者と膝を突き合わせて語り合った喫茶店もなくなってきている。


久保覚

その松本昌次さんが、戦後出た全集で最高の編集がなされたものとしてよく挙げるのが、『花田清輝全集』(全15巻、別巻2、1977~80年、講談社)だ。これを編集したのが、久保覚(1936~98)さんだ。現代思潮社、平凡社『太陽』編集部、せりか書房、御茶の水書房などを渡り歩いたフリー編集者だ。久保さんの人と仕事については、2000年11月に『収集の弁証法──久保覚遺稿集』『未完の可能性──久保覚追悼集』(発売元=影書房)の2冊が刊行されているので、これを見てほしい。久保さんは『花田清輝全集』の編集、解題、校訂の仕事をほとんど一人でやりとげたそうだ。

「その出来栄えを見よ。花田清輝の断簡零墨までを、花田清輝の芸術活動の軌跡に沿っての編集も見事だが、周到極まりない「解題」、厳密な「校訂」など、寡聞にして比肩し得る他の全集をしらない。(だだ一つ、1976年1月から78年9月まにかけて晶文社から刊行された『長谷川四郎全集』全16巻における、河出書房新社の編集者・福島紀幸の「解題」も抜群である。)」(松本)

しかも、久保さんの編集は、著書と編年体を併用した見事な仕事だという。『花田清輝全集』『長谷川四郎全集』、どちらも大きな図書館にはある。それも今やほとんど貸し出されずに眠っているはずだから、ぜひ読んでほしい。どちらも、そのすさまじい解題ぶりには、ほんとうに圧倒される。すごい編集者がいるものだ。

一葉社 東京都北区西ケ原1-46-19-101 Tel. 03-3949-3492
影書房 東京都北区中里2-3-3-403 Tel. 03-5907-6755


       

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