(67)盲導犬になれなかったパル
[2020/4/17]

そのひとは、ある日突然、我が家にやってきた。
そして、そのひとは、ある日突然、我が家を去って行った。

14日夜10時50分。静かに永遠の眠りについた。
そのひと、とはパル・PALのことである。
犬種はラブラドール・レトリバー、イエローの雄。
13歳11ヶ月の生涯だった。

前の犬も同じ犬種、ラブラドール・レトリバーのイエロー、雄。名前はザック・ZACK。千葉県市川市の本八幡に住むブリーダーで生まれる。その母親は6回目のお産で、父親は千葉県の警察犬(ラブ)だった。1994年10月生まれ、2006年6月28日に12歳8ヶ月で死んだ。数ヶ月前から気管支がつまるようになっていたが、その度にすぐに立ち直っていた。しかし、その朝はちがった。散歩の途中で倒れ、そのまま意識がもどらず、その日の午後に死んだ。

それから、犬との生活の空白は2年も続き、ある日突然、2歳のパルが我が家にやってきたのだ。パルはアイメイト協会の「不適格犬」だ。
2008年の春のある日、近くのスーパーの前庭に若いラブを引いている小さな女の子がいた。近寄っていろいろ話すうちにその子の母親が戻ってきて、このラブはアイメイト(盲導犬)*の「不適格犬」ですと言う。

*盲導犬は米語でSeeing Eye Dog、英語でguide dogといい、アイメイトはアイメイト協会の造語。

アイメイト協会は自宅から歩いて20分ぐらい、東伏見駅にも近い。さっそく週末にアイメイト協会を訪ね、その後、アイメイト(盲導犬)との歩行体験や学習会に参加、そしてまるでレストランの順番待ちのボードのような「不適格犬奉仕家庭希望リスト」に氏名・住所などを書き込んだ。

4月下旬、思いがけず電話はすぐに来た。不適格犬が出ましたと。急いでアイメイト協会に向かう。少し開いたドアの隙間から細身のラブがスルッと入ってくる。こちらを見上げて少しシッポを振る。これがパルとの初ご対面だ。どうぞ、このまま家に連れていってくださいと言われ、こちらが慌てる。結局、連休明けに引き受けに来ますと約束してパルと別れる。どんな理由で「不適格」になったかは説明がなかったし、ただ無償での奉仕のお願いの申し出だった。すべてが牧歌的な時代だったのかもしれない。パルが家庭犬として、ほんとうに素晴らしいラブだったことは、その後の12年間の生活が証明してくれた。散歩の途中で会う人に「よかったな、盲導犬にならなくて」とほめられ、まったく吠えたり鳴いたりしないので「家の用心棒にはならないね」と言われた。

さて、パル・PALのおおよそのライフヒストリーを説明しよう。

2006年5月12日 アイメイト協会の「繁殖奉仕家庭」で生まれる(たぶん、東京)。ここでパル・PALと名付けられる。

2006年7月  生後2ヶ月で、ボランティアの「飼育奉仕家庭に引き取られる。この飼育奉仕家庭のことを、「パピーウォーカー」とい言うこともある。約1年間、この家庭で成犬になるまでの基本的なことを体験する。

2007年7月 アイメイト協会に召集され、40〜50頭あまりの仲間との集団生活をし、アイメイト(盲導犬)としての様々な訓練を受ける。

2008年5月 「不適格犬」に選ばれ、保谷市(のち、西東京市)の村山宅にやって来る。成犬2歳、体重24キロだった。

2009年6月に中野区に引っ越す。
朝の散歩は6時から1時間。車で井草の森、石神井公園、光が丘公園などに行く。夜の散歩は先に帰ったものが近所を回る。昼間は義母と5時間も6時間も留守番をする。パルがエラいのはその間、オシッコが我慢できること。流石です、盲導犬の不適格犬。

2011年3月11日 東日本大震災の際、留守番の義母と一緒に居間の大テーブルの下に隠れる。
2016年11月、肛門嚢腺(左)癌の切除手術を受ける。8泊9日の入院。以後、それ以上の手術はしないで、経過観察。
パルの後肢が萎えてきたのは2019年暮れ頃から。だんだん、立ち上がるのに時間がかかり、足がハの字に割れて歩行が難しくなってきた。長いタオルを細帯のようにしてお腹にまわし、タオルの上を掴み吊るすようにして持ち上げると、ようやく歩く。オシッコはまだいいが、後肢の踏んばりがきかないため、ウンがでない。ゴム手袋をはめて、指を肛門に入れウンコを掻き出す。
6日から新宿書房もテレワーク。自宅でブラブラしているわけにはいかない。散歩もままならず、お腹を吊るして家の前の空き地で大小をさせる。オシッコの回数がすごい。

14日にパルをよく知る、同僚・仕事仲間にメールを出す。

ずっと寝ています。
この3月末から後肢の踏ん張りがなくなり、
ハーネスがないと動けなくなってきました。
食事をほとんどしなくなったのが、12日の朝食から。
全部残しました。
11日の夕食は時間がかかりましたが、ほぼ完食。
しかし、実はその数日前から
あれほど楽しみしていた食後のリンゴのデザートを
まったく口にしないなどの兆候はありました。
以後、食事ナシで寝たきりです。
12日の夕食ナシ
13日の朝食ナシ
13日の夕食ナシ
14日の朝食ナシ
食事ナシが3日目ということです。
なんとか水だけ(水や栄養剤AHCC)は摂っています。
まだ体力はあるのでもっているのかもしません。
来月12日が14歳の誕生日です。
2018年9月に左の肛門腺癌の切除手術後、経過観察。
その後右の肛門嚢腺癌の肥大化を確認してきましたが、
再手術はしないで、滋養あるものを食べさせてきました。
コロナのお陰で、パルの寝顔を見ています。

パルの12年間は前任者のザックとちがい、ちいさな社交の世界で過ごした。山梨の大泉村(のちに北杜市)に次兄の山小屋があったので何回か連れていくうちに、高根町(いまの北杜市)のバーネットヒルを知り、長いお付き合いとなった。

12年間にわたってお付き合いしてくださった、山梨県北杜市清里にあるB&Bの「バーネットヒル」のオーナー、Iさんが早速、ご自身のブログでパルのことを追悼してくださった。

パルとの生活は新宿書房でいうと、今いる九段下の時代だ。前任のザックは、九段南から三栄町の時代。パルは階段が苦手だが、何回か九段下のビルの3階まで上がった。

パル、ありがとう。この12年、弱気になる私をいつもその笑顔でささえて(アイメイトして)くれた。つい10日の晩まで、同じ布団にくるまって寝てくれた同志よ、ありがとう。
さようなら。


2016年11月26日北杜市バーネットヒルにて(10歳)


2018年5月12日中野の自宅にて(12歳)


2018年6月17日バーネットヒルにて 夜9時おやすみ〜