(32)旅する少女歌劇団「日本少女歌劇座」
[2019/8/4]

わが「見世物学会」会長の鵜飼正樹(京都文教大学綜合社会学部教授)さんが、長年にわたって資料の収集と研究を続けてきた少女歌劇団「日本少女歌劇座」の集大成となる展覧会が2019年8月24日から奈良県大和郡山市で開かれる。題して「旅する少女歌劇団 日本少女歌劇座—大和郡山発 元祖ローカルアイドルの群像—」。監修の鵜飼教授からプレスリリースが送られて来ましたので、これを紹介しよう。

  
                プレスリリース
                  上の画像をクリックすると全体が見られます。


鵜飼教授は小社から2冊の本を出されている。鵜飼正樹・北村皆雄・上島敏昭編著『見世物小屋の文化誌』と鵜飼正樹著『見世物稼業——安田里美一代記』である。また、京都大学大学院時代に旅回りの一座に飛び込み、南条まさきの役者名で舞台に立った記録を『大衆演劇への旅 南条まさきの一年二カ月』(未来社、1994)としてまとめている。同書は貴重なエスノグラフィー(民族誌)として評価された。

まず、鵜飼教授のごあいさつから。

ご無沙汰しております。
京都文教大学の鵜飼正樹です。

このたび、本年3月に宮崎市内で開催した「日本少女歌劇座展」を、本社のあった大和郡山でも開催することになりましたので、ご案内を差し上げます。 大正後期から昭和30年代初期まで、35年以上にわたって活動した旅回り専門の少女歌劇団「日本少女歌劇座」は、「謎の少女歌劇団」として、その実態もほとんど知られないままでしたが、古本屋やオークションでの資料収集、大和郡山や宮崎、国会図書館などでの資料調査、元劇団関係者へのインタビューなどを通じて、ようやくその全貌がほぼ解明できました。
調査の結果、浮かびあがったのは、日本少女歌劇座が、想像していた以上に規模が大きく、しっかりした劇団で、計画的に全国を巡業していたこと、日本中にその公演を心待ちにしている人たちがいたこと、そして、舞台に青春をかけた女性たちがいたことでした。
全国に「少女歌劇」という夢の舞台を届けた日本少女歌劇座のことを、多くの方に知っていただきたいとの思いで、この展覧会を企画しました。
ポスターやチラシ、絵はがきを中心に、約200点の資料を展示します。
当時の活動の様子がわかる資料は、見ているだけでも楽しく、これだけまとめて見られる機会は、めったにないと思います。
宮崎では、当時の舞台をご覧になった方が多数来場され、熱心に見入っておられました。

期間は8月24日から9月1日まで、会場はお城のすぐそばの「やまと郡山城ホール」です。
チラシのデータを添付いたしましたので、ご関心をお持ちの方に、広くご案内いただければ幸甚です。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

この展覧会には実は前座がある。最初の展覧会は〈鵜飼正樹秘蔵コレクション大公開!〉として、2016年2月28日〜3月6日まで、大和郡山市で開催された。展覧会名は「大和郡山に少女歌劇があった 日本少女歌劇座展」。そして、鵜飼教授のあいさつにもあるように、今回の展覧会は2019年3月19日〜31日まで宮崎市で行なわれた「旅する少女歌劇団日本少女歌劇座—宮崎発 元祖ローカルアイドルの群像ー」の大和郡山版なのである。日本少女歌劇座は1921年(大正10)頃、大阪府下で誕生した後、大和郡山市の島興行社が経営、全国や外地を公演。1936年(昭和11)以降は宮崎市にも拠点を置いた。

2016年の「大和郡山に少女歌劇があった 日本少女歌劇座展」の開催に際し、鵜飼教授が大学内のブログで書かれた文章が簡にして要を得る文なので引用させていただく。

さてこのたび、奈良県大和郡山市で、少女歌劇に関する資料の展覧会を開催することになりました。
あやめ池のOSKなら知ってるけど、大和郡山で少女歌劇? と不思議に思われた方。
まさにそのギモンを解くのが、この展覧会です。
じつは、大和郡山には、戦前から戦後にかけて、30年以上にわたって少女歌劇を演じてきた劇団の本拠地があったのです。
名前を「日本少女歌劇座」といいます。
大正後期に現在の近鉄石切駅近くの「日下温泉」でアトラクションとしてはじまり、その後、大和郡山に本社をかまえる「島興行社」が運営し、全国を巡演してまわった少女歌劇団です。
20年近く前に、この劇団の絵はがきを百万遍の古本市で発見したことをきっかけに、私はこの劇団に関する資料を集めはじめました。そしてようやく最近になって、その姿がおぼろげながら浮かびあがるようになりました。その姿を、多くの方に見ていただきたいということで、企画した展覧会です。
ついに、鵜飼正樹秘蔵コレクションが日の目を見る日がやってきたのです!
ちょうどこの時期、大和郡山市内では「大和な雛まつり」というイベントが開かれています。お雛さまとともに、昭和初めの大和郡山に花開いたモダンな少女文化に、思いをはせていただければ幸いです。
宝塚や松竹以外の少女歌劇については、すでに倉橋滋樹・辻則彦 著『少女歌劇の光芒』(青弓社、2005年)という先行研究があります。大正末から昭和初めにかけて、金沢、福岡、広島、別府など、全国各地にローカル少女歌劇団が設立され、活動していたことが、この本によって明らかになりました。
ところが、この日本少女歌劇座については、この本でも詳細がよくわからないとされています。それもそのはずで、宝塚や松竹も含め、ほとんどの少女歌劇団は、拠点となる劇場を持ち、そこで公演していたのに対し、この日本少女歌劇座は、地方巡演に徹していたため、地元である大和郡山でさえ、記憶している人がほとんどいないのです。
この「謎の少女歌劇団」の記録を、私なりに掘り起こしました。
たとえば、昭和3年は、正月に長崎で公演し、その後、九州→中国→四国→近畿→東海→関東→東北→北海道→東北→北関東→信越→北陸→山陰と巡演し、姫路でしめくくるという、ほぼ年中無休、すさまじいばかりの移動ぶりです。
さらに、昭和4年以降は、台湾、朝鮮、満州などにも進出し、毎年のように外地公演をおこなっています。
さらにさらに、戦時中も、桃太郎と犬・猿・キジがニューヨークを総攻撃し、鬼畜米英をやっつける「叫ぶアジア」などといったレビューを公演し、戦後は昭和31年まで活動していたことも判明しました。
さらにさらにさらに、実はこの少女歌劇団を運営していた島興行社の本社建物が、今も大和郡山市内に残っていることがわかりました。
チラシ、チケット、絵はがきなどの「紙もの」ばかりの展示ですが、なかなか凝ったデザインのものが多く、ご覧になるだけでも、楽しんでいただけるのではないでしょうか。
もちろん、入場料は無料です。
展覧会名:大和郡山に少女歌劇があった 日本少女歌劇座展
会場:大和郡山市柳1丁目 菊寿亭(大和郡山市役所前 本家菊屋さん南)
近鉄郡山駅下車徒歩5分、JR大和郡山駅下車徒歩10分
本家菊屋さん:http://www.kikuya.co.jp/
期間:2月28日~3月6日
時間:10時~17時

鵜飼教授の消えゆく大衆文化を掘り起こし、記録する旅はまだまだ終わらない。