(13)岡留安則、『噂の眞相』、杉浦康平
[2019/3/15]

ある朝、新聞の訃報欄の横に「故岡留安則さん(月刊誌「噂の真相」元編集長)を賑(にぎ)やかに送る会」の記事を目にした。3月30日、市ヶ谷私学会館。呼びかけ人代表は評論家の佐高信さん、とある。

『噂の眞相』の創刊は1979年(昭和54)年3月、休刊は2004年4月であった。岡留安則(1947〜2019)の訃報を出した各新聞、通信社の記事には、反権力スキャンダル雑誌を売りにした同誌を形容するくだりはあっても、表紙のデザインについて言及するものはなかった。

「表紙のデザインも独特のもの」と説明しているのはウィキペディアだが、そこにもデザイナーの名前はない。

『疾風迅雷(しっぷうじんらい) 杉浦康平雑誌デザインの半世紀』(発売=トランスアート、2004年10月)の第四章「・・・・・動き、うつろう。絵と文字のあやとり」のなかに8ページにわたって、『噂の眞相』の表紙画像が紹介されている。ここから、関係者のコメントをひろってみよう。

創刊は前述したように1979年3月号だが、1年たった80年4月号から、表紙デザインに杉浦康平事務所がかかわることになる。そして、同誌の休刊する2004年4月号までの280冊の表紙デザインを担当している。

判型はA5変型判(表1のサイズ:横145×縦210ミリ)。担当したデザイナーは、杉浦康平のほか、歴代順に並べると、鈴木一誌(1980-82)、谷村彰彦(1982-92)、赤崎正一(1993-95)、王豪閣(1995-99)、坂野公一(1999-2003)、島田薫(2003-2004)である。

杉浦は次のようにコメントしている。

「◎ノイジーな噂、ノワールな噂、生まれたての噂が紙面のすみずみで呼吸する。岡留安則が企らんだ現代の瓦版、『噂の眞相』は今日のジャーナリズムの盲点を突き、欲望にうごめくもう一つの日本を巧みに浮かびあがらせる。◎『噂』の表紙は鮮度そのもの。いきのいいイラストレーターの手技を切りとり、レトロなタイポグラフィと対峙させて見るものの左脳・右脳を刺激する。3ヶ月ごとに面目を一新し、別物のように装いながら、なおかつ「噂」そのものとなる・・・というデザインを試みた。(杉浦)」

表紙デザインは3ヶ月ごとに変化し、年に4回そのスタイルを全く変え、年ごとに3人のイラストレーターが選ばれた。しかも渡辺冨士雄や国米豊彦などの新進のイラストレーターを起用し、イラストと文字との遊戯感覚あふれる競演がみどころだ。同誌の誌名ロゴさえもが激しく動き、うつろいながら、時代の推移をくっきりと映しだした。

編集長の岡留康則は言う。

「杉浦さんとの最初の打ち合わせでは、初代担当者の鈴木一誌さんをまじえて基本路線を確認しあったが、私の要望はカストリ雑誌の雰囲気を出してほしいという一言だけだった」「その打ち合わせの席で杉浦さんから、表紙に連動させる形で極太文字を使って各ページの左側に[1行情報]を入れたらどうかとの提案があった。これが後に『噂の眞相』の名物企画になり、・・・・」

初代の鈴木一誌も言う。

「作業は、秀英体をベースにしたあらたなロゴをつくることからスタートし、装幀は、明治、大正、昭和初期の広告を擬しながら、毎号ロゴや文字の配置を変えた。表紙スペースは、水平垂直に縛られない空間だった。」

杉浦康平(1932〜)はアジア図像学研究者、アジアンデザインの泰斗として今なお第一線、しかも先端で活躍しているグラフィックデザイナーである。その仕事は多岐にわたり、その仕事を俯瞰すると大きな複雑な地図となる。杉浦康平事務所の初代スタッフの中垣信夫による「杉浦クロノロジー」(『杉浦康平・脈動する本—デザインの手法と哲学』(武蔵野美術大学美術館・図書館、2011年10月)を見ると、8つの地層の地下に広がる「杉浦デザイン」のその奥行きと深さに圧倒される。この『噂の眞相』が杉浦山脈のどのあたりにあるかを確かめるのは興味深いことである。


私は杉浦康平の社会派としての側面にもっと光を当てるべきだと思っている。1960年の第6回原水爆禁止世界大会のポスター『原水爆禁止+核武装反対!』(粟津潔との協同製作)**や、『新日本文学』の表紙(1966〜68)、1973年〜80年の平凡社『百科年鑑』***に1976年から始まった和多田進の晩聲社のノンフィクションやルポルタージュの装幀などの系譜である。この流れのなかに、『噂の眞相』はあると思う。

ついでに言えば、タブロイド版夕刊紙『日刊ゲンダイ』(株式会社日刊現代)の題字(ロゴ)をデザインしたのは杉浦康平である。

『噂の眞相』の誌名の由来は、敗戦の翌年の1946年3月に創刊された雑誌『眞相』(人民社、サブタイトルに「バクロ雑誌」とある)と、作家の梶山季之編の雑誌『噂』(季龍社、1971年〜74年)にちなんだという。『眞相』は確かにカストリ雑誌ではあったが、3合(号)で(酔い)つぶれず、56号まで出た。

谷村彰彦については「三栄町路地裏だより」vol.35(2002/02/21)で書いた。

**岡村幸宣『《原爆の図》全国巡回』(新宿書房、2015年)p234〜235

***杉浦康平『時間のヒダ、空間のシワ…[時間地図]の試み―杉浦康平ダイアグラム・コレクション』(鹿島出版会、2014年)p051:村山恒夫「紙の「マルチメディア」実験―『百科年鑑』生誕クロニクル」