(19)2017
[2017/12/22]

 今年のマイ・ハイライトは何だろう、と考えてみる。そもそもハイライトというのは、ひとつでなければならないものか。それとも、複数あってもいいのか。わたしの場合、欲張って、3つあげたいと思う。

 ひとつは、5月末から6月はじめにかけて出かけた、9日間の海外旅行だ。バルト三国(リトアニア・ラトビア・エストニア)への旅だった。なかなか行けるところではなさそうな印象の国々だと思って、行くことにした。もっとも、怠惰なわたしのこと、同じ教会に通うお仲間の女性が企画してくれたプランに、のっかっただけだったのだが。

 ふたを開けてみると、総勢26人のグループが形成された。うち男性は3名のみ。ひとりは、同行してくださるカトリックの神父様。したがって、ふつうの観光旅行とは、ひと味違う旅行だと、容易に想像していただけるかと思う。そう、巡礼の旅でもあるのだ。実をいうと、国内、国外を含め、これまで巡礼旅行というものを体験したことがなかった。個人的には、九州の平戸や長崎の歴史ある美しい教会の数々を巡ったことはあった。郷里の姉と義兄が、車で連れていってくれた。

 バルト三国までの飛行機の旅は、かなり長い。まず、フィンランドの首都ヘルシンキまで飛ぶ。そこで乗り換え、南へくだる。最初の国はリトアニア。そこから次の国ラトビアへ、さらに北上して、最後のエストニアまでバスで移動する。陸続きの三か国の間に、すでに国境はない。それぞれ、せいぜい150万から200万ほどの人口なのに、言語も文化も異なるというのだから驚く。互いの共通言語はというと、英語かロシア語だ。1989年まで、三か国はソ連の支配下にあったのだ。

 全行程、エストニア人(だったと記憶するが)の若い女性、シシさんがガイドとしてついてくれた。彼女、日本に留学したことのあるエリートで、行く先々、熱心に日本語で説明してくれた。大型バス一台を貸し切っての快適な移動。運転手の男性も、最初から最後までいっしょだ。どの国も、自然豊かで美しく落ち着いている。観光地以外、あまり人も見かけない。

 リトアニアの首都ヴィルニスでは、赤レンガ造りの優雅な聖アンナ教会で、旅での最初のミサをあげていただく。その後、旧ユダヤ人街まで歩き、お昼を食べる。翌日は、杉原千畝記念博物館を訪れるために、カウナスまで移動した。杉原氏は、もうこれ以上書けないというぎりぎりの時間まで、シベリア鉄道をめざすユダヤ人たちのために、日本へのビザを発行し続けた外交官だ。

 カウナスでは、十字架の丘に立ち寄り、その後二番目の国ラトビアをめざした。十字架の丘については、かつてテレビの番組で映像を見たことがあったが、実際に訪れてみると、大小さまざま、木製あり鉄製ありの十字架の数々、そこに刻まれた人々の祈り、あちこちにかけられた無数のロザリオの数珠に驚かされる。一体、全部でいくつあるのか、もちろんだれも数えたりできるはずもないのだが、見渡す限りの十字架の塊に圧倒されて、心の中で、世界の平和を願う。

 二番目の国はラトビア。首都リガをめざすバスは、広々とした田園地帯を抜けていく。黄 色の花が一面に咲いているのは、菜の花だろうか。ところどころ、円筒形の鳥の巣を目に する。コウノトリの巣だという。ルンダル城の屋根の上にも、巨大な巣がのっかっていた。

 最後に訪れたのは、エストニア。ここでは、大きなサプライズがわれわれを待ち受けてい た。参加者のひとりの女性が、洗礼を受ける決心をされたのだ。聖マリア教会で、急きょ、 式の準備が整えられた。受洗者のお姉さまは、急ぎ手持ちの白い布でベールを用意され、 フラワーアレンジを仕事にしておられる女性は、野の小花を摘んで、かわいらしいブーケ を作られた。旅先での、それも外国での洗礼式。無事に終わると、参加者一同、受洗者を 囲んで、涙なみだのハグの連続となった。

 つつがなく式を終え、旧市街にあるレストランに入って、全員でランチの時間となった。 ここでガイドのシシさんが、体調をくずしてしまった。頭痛がするということで、食欲も なく、顔色もすぐれない。片隅のテーブルで、休んでもらう。ランチには、先ほど洗礼式 の場所を提供し、必要な用具類を揃えてくれた教会の責任者の男性にも、加わってもらう。 聖マリア教会、わたしたちは、てっきりカトリックの教会だとばかり思いこんでいたのだ が、実はそうではなかった。

 目の前にすわったその男性に、わたしが英語で話しかける。「失礼ですが、パーソナルな 質問を。ひょっとして、ご結婚されている?」「ええ」との返事。念には念をいれ、わたし がさらに続ける。「あの、お子様は」「はい、3人おります」と、にっこりされた。ありゃ、 ということは、この方は牧師さん。バルト三国は、実はプロテスタントが主流なのだ。ル ッターの宗教改革の影響で、多くの教会が新教に変わったのだ。ただし、建物は、以前の カトリックのままが続いているらしい。エストニアでカトリックの神父といえば、隣国の ポーランドか南米アルゼンチンの出身者がほとんどなのだそう。

 バルト三国最後の夜は、ホテルの最上階のカフェに集合。いわゆる白夜の遅い日の入りを 見ようとの趣向。10時半ごろまでねばってみたが、なかなか太陽は完全には沈まない。ハ ワイの海岸で眺める、あっという間の夕日の風景とは、だいぶ異なる雰囲気だった。

 さて、わがハイライトの二番目。8月に初孫が生まれたことだ。体重は3200グラムあった というから、健康な女の子だ。息子夫婦は、宮崎に住んでいるので、すぐに対面というわ けにはいかなかったが、涼しくなるのを待って、9月はじめにかの地を訪れた。グイグイ と元気に母乳を飲む孫を見て、ああ、孫というのは、本当に無条件にかわいく愛しいもの と実感した。

 三番目は、9月に古希を迎えたことだろうか。それほどエキサイティングなことでもない が、確かにひとつの人生の節目かもしれない。高校の同期生たちは、古希記念旅行という ので、伊勢・奈良旅行を企画してくれたが、残念ながら、仕事と重なり参加できなかった。 そのかわり、行く先々から、代表者たちが写真を送ってくれ、それらを見ながら、ああ、G さんだ、髪の毛が真っ白、でもすてき!Nさんだ、うん、市会議員をやったというだけの 貫禄十分。などと、ひとり楽しんだ。70年の人生のハイライトは?などと思わぬでもな いが、大した道のりでもなく、今となっては、ただただ漂流してきただけのような気もし て、考えるのはやめておきましょう。


屋根の上の猫(ラトビアの首都リガにて)