(3)セルビア人は・・・
[2012/1/16]

訴えるハリウッドのスター

 ハリウッドの人気女優アンジェリナ・ジョリーが1990年代のボスニア紛争を題材にして監督・脚本家デビューをした『血と蜂蜜の地で(In the Land of Blood and Honey)、公式ウェブサイトはこちら』を我家の近くのシネコンに見に行った。

 1976年から77年にかけて7か月旧ユーゴのベオグラード大学大学院に同国の映画史研究のために留学し、その間ボスニアにも旅行で行ったことのある私がこの映画を見に行くのは、興味と同様に警戒心もあった。ハリウッドが描く日本について日本人が抱く違和感と似たものをこの映画にも感じることが予想されたからである。私は77年以降ベオグラードに行っていないが、2006年にはマケドニアとスロヴェニア、08年、10年にもスロヴェニアに滞在して旧ユーゴ地域には行っている。79年にNYに来てからは機会あるごとに旧ユーゴからの映画は見ていた。すっかり錆び付いたセルビア語ではあるがいくらかは理解できるし、普通のアメリカ人よりはこの地域についての知識もあるはずだ。

 私はアンジェリナに好意を持っている。俳優としてクリント・イーストウッド監督の時代物ドラマ『チェンジェリング』(08)で秀逸な演技を見せていたし、アクション映画『ソルト』(10)も素晴らしかった。またハリウッドの大物カップルとして、パートナーのブラッド・ピットともに「アメリカ中のカップルが結婚できるようになったら、自分たちも(正式に籍を入れて)結婚する」と語っているからである。これは、現在アメリカで同性愛の結婚を認めていない州が多いからである。マスコミに頻繁に登場し一挙一動が注目されるセレブという自分たちの地位をわきまえて、自分たちの信じるところを社会に発信しているスターたちが欧米では多い。

 アフリカの飢餓について若者の意識を高めようと舞台から訴えるロック・グループU2のボノやハリウッド・スターのレオナード・デカプリオ、身体障害者となった自らの肉体を公共の場に登場させ「軍事費の何万分の一のリサーチの予算があればこのような医療問題は解決に向かう」と主張し続けた俳優の故クリストファー・リーブスなど、スターである以前に人間であり、人間であれば当然世界や社会の問題を考えざるを得ないという姿勢である。国連親善大使としてアンジェリナも世界を飛び回り人道的問題に取り組んできた。その過程で戦争被害者や虐げられた女性の多くに会い、深く同情してこの映画のストーリーを書き、監督となって世の中の人々の意識を高めようとしているのは明らかだ。

『血と蜂密の地で』

 私がマンハッタンの映画館行ったのは午後4時からの回で、200席ぐらいの劇場にお客はまばらだった。映画が始まると「1992年」と字幕が出て、他民族が共存していた旧ユーゴのボスニアで紛争が始まったことを告げる。英語、ボスニア語(セルビア・クロアチア語に近い)の両方で字幕が出て、俳優が現れると皆ボスニア語で話している。ヒロインの画家アイラ(ザナ・マリャノヴィチ)が警官の制服を着たダニエル(ゴラン・クスティチ、いくつかのアメリカの評が「(イギリス人俳優)ダニエル・クレイグを思わせる」と形容していた)とクラブでデートし、スローな音楽に合わせて踊る二人がよい雰囲気になってきたところでクラブが爆破される。二人は助かるが、「4ヵ月後」と字幕が出て、セルビア人(セルビア系住民)によるムスリム(ムスリム系住民)への攻撃が始まる。アパートに乗り込んできたセルビア兵たちは人々を外に出し男は銃殺、アイラは乳飲み子を抱える姉と別れ、ほかの女たちとともにバスで収容所に連行される。収容所に着いた途端に彼女たちの眼前で一人の若い女性がセルビア兵に強姦される。次はアイラの番という時、収容所の看守になっているダニエルがアイラを救う。

 収容所では女性は劣悪な環境の中で四六時中セルビア兵に虐待強姦を繰り返される。ダニエルは尋問と称して繰り返しアイラを自分の部屋に呼んでは、アイラを助けようとする。後に別の収容所に移ってから、ダニエルはアイラを「肖像画家」として任命し他のセルビア兵から守る。ダニエルは昨日までの隣人ムスリムの殺戮に疑問を呈するが、セルビア軍司令官の父のネボイシャ(クロアチア生まれのセルビア人ラデ・セルベジヤ、彼はマケドニアのミルチョ・マンチェフスキー監督の『ビフォ・ザ・レイン』(94)の写真家の役で有名だが、ハリウッド映画にも多く出演している)はセルビア人の義憤の正当性を説く偏狭な超国粋主義者である。

 今は敵対する関係となったアイラとダニエルが愛をまっとうできるのかという点が、メロドラマ的興味をそそることになる。この映画の撮影の多くがハンガリーで行われ、ボスニアでの撮影も予定されていたが、「敵対する男女の恋」というテーマに対してボスニア紛争女性犠牲者団体が「自分を強姦するセルビア兵にムスリム女性が恋に陥るはずがない」と抗議したため、2010年10月ボスニア当局は撮影許可を取り消した。しかしアンジェリナ側が脚本を提出し、強姦する男に惚れる女の話ではないという主張が認められて数日後には撮影の再許可が出ている(エンターテインメント業界誌『ヴァラエテイ』による。)紛争が始まる前からアイラとダニエルに関係があったという設定はこの時に変えられたのかもしれないが、私にはそこまで詳細はわからない。映画ではこの二人の関係は揺れ動き屈折しながら、最後にアイラはダニエルより自らの民族を選ぶ。2011年12月のボスニアでの上映会では、前年抗議運動をした女性団体や戦争被害者の団体がアンジェリナの映画によしとお墨付きをつけたと報道されている。

セルビア人の蛮行

 血と蜂蜜の地で』はこれでもか、これでもかというセルビア兵の残虐性と戦闘シーンの繰り返しで見ていて疲れる。そして乳飲み子が出てきた途端に「この可愛い子が殺されるのだろう」という私の予想は裏切られなかった。ダニエルの部下が嬉しそうに父親となることをダニエルに報告するシーンで私は、この部下は絶対に戦死するだろうと思ったら、やはりそうなった。さすがハリウッド映画である。ドラマの盛り上げ方が実にありきたりなのだ。そしてアイラとは別の収容所にいたアイラの姉が、次のシーンではなぜかムスリム抵抗勢力のグループと隠れ家にいるなど、ご都合主義的な話の運びである。なぜ無為な殺し合いを人間は繰り返すのだろうという根源的問いについて、何か新しいことが提示されているわけでもない。全体的にこの映画は平板なのだ。

 アンジェリナは一応、この紛争の背景を描く努力はしていることを認めよう。多くのアメリカ人はバルカンの歴史はほとんど知らない。そこでネボイシャやセルビア兵の台詞で、セルビア人が5世紀に渡るオスマン帝国の支配、それに続くオーストリー=ハンガリー帝国の下で、さらに第二次世界大戦で他民族の犠牲になって血を流してきたことを語り、教科書的に観客に知らせようとするのだが、断片的知識を提示するだけで観客はセルビア人の説く正当性に納得できないであろう。

 あるシーンで隠れ家のムスリムたちが会話をしている。「セルビア人は残虐だ」

 「いや、皆がそうではない。俺の母親はセルビア人だった。」

 そこで私は思った。セルビア人を弁護するには、セルビア人の血が流れていなければならないのだろうか。

 別の場面ではムスリム捕虜を残虐に尋問するセルビア兵を抑え、人道的に尋問するセルビア兵がいる。名前と職業を聞いて「ああ、君の店が作っていたパンは町一番のおいしさだった」と言うこの兵(後述する『ノー・マンズ・ランド』でボスニア兵を演じていた俳優・監督のブランコ・ジュリッチが演じている)も戦死するだろうと思ったら、やはり戦死した。観客の感情移入できる人間的なセルビア兵が死ぬことで、観客に泣かせようとする戦略だ。

 ハリウッド映画では単純な正義感に基づき敵味方をはっきりと区別する。この映画も例外ではない。概してセルビア人はパラノイアであり女性を嗜虐的に襲う性的異常者として振る舞い、赤十字や人的援助のスタッフや道を歩くムスリム一般市民を冷血に銃殺する。彼等は国際世界から孤立した未熟で野蛮な男の集団として描かれる。そして彼等の犠牲となる女性たちが耐え忍ぶ苦難を繰り返しグラフィックに描くことで、このハリウッド映画は観客の紅涙を搾り取ろうとする。

映画評は?

 アメリカではどんな評が出ているのか調べてみると、多くの評者がこの映画はアンジェリナの正義感に溢れた政治的メッセージが芸術としての映画の存在を凌駕してしまっているとしている。しかしバルカンに居合わせた西欧人の視点の映画は今まで作られて来たが、よそ者である彼女が現地の俳優と言語を使った映画(英語版も彼女は一応作っているそうだ)を製作したことで、彼女のテーマに対する真摯さを評価している。そして俳優を演出する彼女の監督としての手腕は、結構評判がよい。しかしほぼ全評者が脚本の悪さに閉口している。中でも笑ってしまったのは、「彼女が監督として大成するためには、監督としてまず基本的な規則を修得しなければいけない。駄目な脚本家を頸にすることである」という指摘であった。

 一般観客のインターネット評を見ると、「紛争が終結して何年も立って、傷をえぐり返すようなストーリーは御免だ」という多分バルカン出身の人の感想や、「全く嘘で固められたストーリーで、ムスリムこそがセルビア人を虐殺したのが事実だ」という多分セルビア系の人からの抗議があった。私はボスニア紛争については詳しくないので実際どうであったかはわからないが、1990年代にイタリアの学会で会ったイスラエル出身の女性歴史学者はボスニアの国連代表部で働いていて「セルビア人もクロアチア人もムスリムも皆ひどいことをしているけれど、一番ひどいのはクロアチア人だ」と言っていた。アンジェリナの映画で描かれているセルビア人によるムスリム虐殺や暴行は多分実際に起こったことであると思うが、セルビア人が犠牲になっている虐殺や暴行は広く報道されていないことも事実であろう。

 『ワシントン・ポスト』紙の政治記者リチャード・コーエンも、現実のボスニア紛争は映画に描かれているよりも複雑なものであったことを指摘している。そしてアンジェリナの映画はボスニアでの蛮行に対して軍事介入を長くしなかったアメリカや国際社会の無関心に対する批判が見事に訴えられているとしている。この観点は、『インタビュー』誌でのアンジェリナとクリント・イーストウッドとの対談でも表明されている。この二人はともに俳優から監督に移行し、イーストウッドは第二次世界大戦中の日米激戦を描く『硫黄島からの手紙』(06)で日本人俳優に日本語を喋らせて演出している点でもアンジェリナの演出法と共通し興味深い対談となっているので、関心ある方はこのサイトで読んで欲しい。

ボスニア人女性監督二人の作品

 私が興味深く思ったのは、ボスニア出身の女性監督による二つの映画とアンジェリナの映画の比較である。この二人の若い監督は、同胞女性がいかに酷い扱いを受けたのかをアンジェリナのようにムスリム女性の身体にのしかかり性器を突き立てるセルビア兵の描写の繰り返しによって糾弾するのではなく、紛争後に被害者の女性たちが生きて行く上で対峙しなければならない心と身体の深い傷への考察をしている。ベルリン映画祭の最高賞ほか世界各地での賞に輝く『サラエボの花』(原題Grbavica 日本・米国公開07年、公式ウェブサイトはこちら)は、ドキュメンタリー製作に関わっていた32歳のヤスミラ・ジュバニッチ監督の劇映画処女作である。

 映画はセラピーの場面で始まる。セラピーを受けている一人の女性がヒロインだ。彼女は小学生の娘がセルビア兵の暴行による結果収容所で生まれた子供であることを娘に言えないでいる。しかも繰り返し暴行された体験の後遺症で、男性と関係が築けない。シングル・マザーの母親は娘の遠足代の金の工面に苦慮し、娘の父親が勇敢に戦って戦死した英雄ではないことを娘に告白できずに悩んでいる。このボスニア女性を演ずるのは、セルビアで有名な女優ミリャナ・カラノヴィチである。ヒロインが耐え忍んで来たひりひりするような痛みを、彼女の一挙一動、その顔の無言の表情、身体の仕草で私の心に響かせる。男性の手が肩を触ろうと伸ばされた瞬間に彼女の身体は本能的に縮こまり、顔に陰が走り、私は彼女が耐えてきた数年間の収容所の地獄絵を想像することになる。

「雪」は足跡を消すのか?

 日本公開はされていないが、ボスニア女性監督による素晴らしい作品がもう一つある。「雪は丘を被うためではなく、獣の足跡を残すために降る」というボスニア のことわざで始まるアイダ・ベギッチ監督の処女長編作『雪(原題Snijeg)』(08、公式ウェブサイトはこちら)である。この中で降る雪は、戦争で傷ついた女たちの抵抗の歴史を刻むために降っているようだ。

 カンヌ映画祭批評家週間受賞作であるこの作品を私は2011年4月、ニューヨークのボヘミア・ハウスでの「姿を消す行為 パート3」という19本のヨーロッパ映画を紹介する特集で見た。ベギッチ監督は1976年生まれで、ボスニアの演劇アカデミー出身。この映画を発表した時にはジュバニッチ同様、32歳の若さである(ちなみにアンジェリナは36歳。いずれも30年代の女性が頑張っている)。

 『雪』は1995年紛争停戦後のボスニア東部の村が舞台である。夫や父親、息子を虐殺され、あるいは連れ去られた女たちが、一人の老人と虐殺を免れた少年と静かな生活を営んでいる。映画はジャムやピーマンの瓶詰めをリヤカーに載せて運ぶ二人の女性の姿から始まる。リヤカーを止めて一人の女性は服を着替え、もう一人の女性な道端に瓶詰めを並べる。そこにトラックが突っ込んできて、瓶詰めの多くが割れ台無しとなる。運転手は二人の女性を助手席に乗せて村まで送る。運搬手段さえあれば瓶詰めがもっと売れると嘆く女性に、運転手は「水曜日に来て手伝う」という。どうやら彼は着替えをしなかったほうの女性であるアルマに興味があるようだが、アルマは彼の視線を避けて仕事の話を進める。映画を通じて「土曜日」「日曜日」・・・と字幕が出て、一日の村の慎ましやかな様子が描かれるが、観客は彼が水曜日に来るのかどうか、アルマと一緒に期待しながら待つことになる。

 アルマを演ずるのが、『血と蜂蜜の地で』のアイラを演じていたマリャノヴィチである。このアルマは、もの静かな中に強い意志を秘めた美しい女性である。アルマは亡き夫の母の厳しい視線と言葉の中で暮らす。村の女性たちは目の前で虐殺された夫や息子や父親の写真を眺めては嘆き、或いは連行された彼等がまだ生きているのではと一抹の期待を抱きながら帰りを待ち続ける。2人の幼い息子を失った母親は、孤児の女の子3人と暮らしている。派手な化粧をしてかつて関係を持った外国人男性をずっと思い続けている女性もいる。衣類やバックなど使っている布をほぐして絨毯を織るおばあさんがいる。女たちは共同でプラムのジャムや、キャベツの漬物を作る。

 ある日セルビア人の男性が村にやって来て、女たちの間に緊張が走る。セルビア人は外国企業の土地買占めの手伝いで来たのだった。セルビア人と外国企業代表は女たち一人一人を懐柔したり騙したりして、土地譲与の書類に署名させるが、アルマとその義母だけは署名を拒否する。理不尽で意地悪に見えた義母も外圧を毅然としてはねつけ、アルマを立てる。外国人はアルマの瓶詰め家内工業を嘲笑する。

 一度は署名した女たちは、土地を売ることを撤回する。それを天が手伝うようにセルビア人たちの行く手をはばむ。最後にそのセルビア人の口から土地の男たちの死体が置かれた「青い洞穴」の存在が明かされ、それに向かう女たちとおばあさんは水に絨毯をひいてその上を歩く。

 村人の署名の入った契約書を持つセルビア人が道で突然倒れてしまったり、水の上に絨毯が広がり女たちの行く道となるシーンのように、魔法のようなシーンがいくつかある。短期間で髪が長く延びてしまう少年は女の子のように見えるが、女の子と思われて命拾いをした体験からこの少年は恐怖に出会うと髪が延びてしまう設定だと、監督はある映画祭での質疑応答で説明していた。

 スカーフを髪に巻きつけて朝アルマは井戸へ行く。水で顔や腕を洗い、プラムの入った銀の茶碗に水を浸すアルマのイメージが、映画を通じて繰り返される。その場面はスローモーションなので、現実か夢かわからないが、風にゆれる花柄のスカーフ、彼女の青いドレスは朝の光に鮮やかだ。それは家の近くで祈りを捧げている夫に届けたものだというイメージが最後に加えられて、彼女の夫への愛情と追憶のシーンとなる。

 養母に叱られて森に逃げる少女に「地雷が埋められているからそっちに行かないように」と叫ぶ女たちがいて、戦場の残した恐怖がこの村の日常にまだ残っている深刻な場面もある。しかし最終的に女性たちの連帯と抵抗の力が勝利し、雪が村に降る。自分たちの作る慎ましいジャムやキャベツの漬物瓶詰めがボスニアの半分の食卓にのぼることが亡き夫の夢であったことをアルマは義母に告げる。この夢がかなうことを観ていた私も願わずにいられなかった。

地雷と生きる

 地雷といえば連想されるのは、気を失っているうちに装置をはずされた地雷の上に身体を置かれてしまったボスニア人兵士をめぐる『ノー・マンズ・ランド(原題Ničija zemlja)』(01、アメリカ公開01年、日本公開02年、公式ウェブサイトはこちら)である。何とか彼を助けようとする仲間と会話を続けながら、じりじりするような灼熱の太陽の下でその兵士は、動かないようにと汗だくになる。国連から地雷をはずす専門家が来るが、その手にも負えない。マスコミのカメラマンの一団も来るが、そのうち去っていく。ダニス・タノヴィチ監督も32歳の若さでこの作品を作り見事アカデミー賞外国映画賞を受賞した。ドキュメンタリー製作に関わっていた彼の劇映画処女作である。

 いずれもボスニアの若い監督たちが自分たちの民族のトラウマに向き合い、自分たちの心の問題を見事に映像化し、私の心に深い感動を与えた。こうした作品のパ ワーに比べると、アンジェリナの作品はハリウッド的薄味である。アンジェリナのような有名人がこのような映画を作ることで、バルカンの最近の歴史について世の人々の関心を高める意義はあるのだろうか。それとも、アメリカ人が既に持っているセルビア人に対するステレオタイプを補強するだけだろうか。 (本稿を書くにあたり、バルカン史家の柴宜弘氏のお世話になった。)